刹那々々に變り行く所の個人の好惡快不快の感が其れであると説いた。即ち、刹那々々に變り行く所の個人を以て一切事物の尺度なりと見て、極端なる個人主義、刹那主義を説いたのである。次に「ソフィスト」と等しく、或は或點に於ては更に甚しく、徹底したる懷疑論者は上世の末期に出でたるピュローン及びセクストゥス・エムピリクスである。(ツイ此間の讀賣新聞であつたと思ひますが、吾邦の自然主義者の人生觀をばピュローンの懷疑説に比較してあつたと覺えて居ります。)併しピュローンやセクストゥス・エムピリクスの懷疑説は「ソフィスト」の懷疑説に比ぶれば稍風格を異にした所がある。「ソフィスト」には一般に余程不眞面目な、輕佻な調がある。尤も「ソフィスト」の親玉株とも云はるべき人物には隨分眞面目な人もあるけれども、其多數殊に其末派の輩は非常に不眞面目である。言はゞ鯰瓢的(瓢箪鯰的といふ言葉の略語です)處世主義とでも云ふべき主義を説き、又た之を實行して居る。即ち刹那々々に自分の利益になり、快樂になるといふことを追ひ求めて、甘く世の中の人の氣に入り、或は世の中の人を誤麻化してゞもよいから、何でも構はず刹那々々の自分を滿足させて甘
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