や矛盾やの正確は疑つては居らぬ。で、從來の一切の定説を疑つた末には、是等の理性の原理に訴へて自家の哲學體系を組織し、之をば確實の眞理と認むるに至つた。「アティカ」哲學の開祖とも稱せらるべきソークラテースも亦同樣である。ソークラテースはデカルトの樣に根本的懷疑といふことを標榜しては居らぬ。併其出發點に於て從前の哲學者の提説に對しても、社會の傳承説や慣習に對しても懷疑的批判の態度を取らなければならぬとした點はデカルトと類似して居る。併し、ソークラテースも、亦各個人の理性には眞理の萠芽を胚胎して居る、之を開發すれば萬人に共通の普汎的の實踐上の標凖を發見することが出來ると見て、其出發點に於ける懷疑的態度を棄てゝ積極的の倫理觀を立てんと試みて居る。是等の學者は過去に對しては[#「過去に對しては」に白三角傍点]懷疑論者であるけれども、まだ徹底した懷疑論者では無い。徹底したる懷疑論者は、眞僞、善惡、美醜の普遍的標凖をば絶對的に否定する者である。希臘の「ソフィスト」は即ち其の最よき標本である。彼等は一切の善惡眞僞の客觀的標凖を否定し、一切の理想を排した。而して、若し強て善惡眞僞の標凖を立つるとすれば、
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