戰ふならば、其間は自然主義や懷疑主義は尚ほ充分に存在の理由を有するのである。或は今日の樣な形の自然主義や懷疑主義やは無くなるかも知れないが、此懷疑思潮は種々に形を變へて現はれて來るであらうと思ふのであります。併し、若し哲學者なり、道徳論者なり、宗教家なりが、眞に自己の良心に據り、眞に自己の經驗に歸るならば、自然主義や懷疑論は旭日に向ふ魑魅魍魎の如く一時に消失してしまふ筈である。
 これはデンマルクの詩人アンデルセンの書いた昔譚[#「デンマルクの詩人アンデルセンの書いた昔譚」に傍点]であります。中學校の英語の教科書などにも載つて居つた話であるから、諸君の内には已に御承知の方が多いであらうと思ふ。併し私は大變無邪氣であつて而かも意味の深い話であると思つて居りますから、未だ讀まない方の爲めに一寸紹介致します。
 昔し去る國に一人の皇帝があつた。其れが非常の着物道樂である。或日其都に二人の狡猾な無頼者がやつて來た。そして自分等は機織の名人であると吹聽した。其織つた織物は品や柄が立派である計りでは無い、一つ不思議な性質を具へて居る。其れは、此織物を視る者が器量不相應な位置や職掌に居る者であれば見
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