点]、自らが其宗教的良心なり道徳の良心なりに對しては眞に眞摯であるかを眞面目に熟考して見なければならぬと思ふのであります[#「自らが其宗教的良心なり道徳の良心なりに對しては眞に眞摯であるかを眞面目に熟考して見なければならぬと思ふのであります」に傍点]。
 如何なる主義でも、如何なる運動でも、若し其れが切實なる自己内心の要求より起つた者であり、又たは時勢に對する眞面目なる憂慮より出でた者であるならば、たとへ其れが矯激であつても、中を失して居つても、其れが切實なる程度に於て、其れが眞面目である程度に於て、必ず人を動かす力を有する者である。即ち其れ丈けの程度に於て必ずヘーゲルの所謂|擧揚《アウフヘーベン》されたる契機《モーメント》として將來の人文中に永久に生きて行くべき者であると私は信ずるのであります。併唯其れだけの程度だけである。懷疑主義には前に述べました通り、幾多の輕佻な不眞面目な要素を混じて居るであらう。又た、我國民性の弱點として、外國の自然主義や懷疑思潮に附和雷同したといふ傾向もあらう。又た、輕佻な附和雷同的な青年や俗衆の人氣取りといふ樣な風もあらう。要するに、切實でない、眞摯で無い
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