徳論者の口舌の上で説かれて居ることがどれ丈け世人の人格の經驗より湧出でたことであるか」に傍点]。若し此點を考へたならば[#「若し此點を考へたならば」に傍点]、懷疑論者の言説の一半が誤つて居ると共に他の一半には汲むべき意義があると思ふ[#「懷疑論者の言説の一半が誤つて居ると共に他の一半には汲むべき意義があると思ふ」に傍点]。自然主義の中に、眞摯を缺くと云ふ樣なことや、又は輕佻で不眞面目な青年若くば俗衆の意に投ぜんとするといふ樣な陋劣な傾向が伴うて居ることも否定すべからざる事實であらうと思ふ。乍併斯の如き自然主義や懷疑思潮が起り、たとへ輕佻で不眞面目な青年や俗衆にもせよ、其の青年や俗衆やが、翕然として之に趣くに至るといふ責任の一半は、生命の無い形式を墨守せんとする所の宗教や道徳其の者が分たねばならぬのではあるまいか、宗教家も[#「宗教家も」に傍点]、道徳家も[#「道徳家も」に傍点]、青筋を立てゝ自然主義を攻撃するに先つて先づ肅然として自らを顧み[#「青筋を立てゝ自然主義を攻撃するに先つて先づ肅然として自らを顧み」に傍点]、自ら果して眞に眞面目であるか[#「自ら果して眞に眞面目であるか」に傍
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