定して了つて、而して此經驗界を犧牲にして想定したる所謂「實有」といふものをば力を極めて保持しやうと力めた。「エレア」の「實有」はショーペンハウエルの所謂空の紙幣である。「エレア」派より出でて而かも此「實有」は空なりと叫んだゴルギアスは初めて之に氣着いたのである。併し、單に「實有」は空なりと叫んだのみならず、凡てが空なりと叫んで徹底した虚無説を説いたのは、凡ての紙幣の意義を滅却したる極端の説である。今日の懷疑説の態度も又頗る之に類して居る。
 以上は哲學に付て言つたのでありますが、宗教や道徳に付ても同樣のことが言へると思ふ。今日の宗教上の形式や[#「今日の宗教上の形式や」に傍点]、説教や[#「説教や」に傍点]、又は宗教家の口舌の上で説かれて居ることがどれ丈け現實の生きたる宗教的經驗を代表して居るか[#「又は宗教家の口舌の上で説かれて居ることがどれ丈け現實の生きたる宗教的經驗を代表して居るか」に傍点]。今日の道徳上の形式や[#「今日の道徳上の形式や」に傍点]、説教や[#「説教や」に傍点]、又た道徳論者の口舌の上で説かれて居ることがどれ丈け世人の人格の經驗より湧出でたことであるか[#「又た道
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