居る。斯ういふ點は明白に懷疑論者の論理上の矛盾である。斯ういふ矛盾を指斥するといふことも無論自然主義論評の一方である。之によりて自然主義其者の議論の精錬を促し、其發展を進めるといふには非常に有効である。既に是までの經過に付て見ても、自然主義の論議は其初めに比ぶれば非常に精錬せられて、非常に純化されて來たと思ふ。併し、斯ういふ論議上の矛盾を指斥したのみで自然主義其者が直ちに破れたと見るは間違である。自然主義の論理上の體系――懷疑論者は斯ういふ言葉を嫌ふかも知れぬけれども――は之に由て一時破れるかも知れぬ。併し此論議上の體系の根底に存する動力は容易に消滅しない。
懷疑論者が無價値論を標榜しながら[#「懷疑論者が無價値論を標榜しながら」に傍点]、僞善を惡み[#「僞善を惡み」に傍点]、内外表裏の矛盾を醜とし[#「内外表裏の矛盾を醜とし」に傍点]、統一ある生活に價値を認むるといふのは慥かに論理上の矛盾である[#「統一ある生活に價値を認むるといふのは慥かに論理上の矛盾である」に傍点]。此矛盾は决して辯護することは出來ぬ。併し[#「併し」に傍点]、此矛盾の中に懷疑論者の意義が籠つて居ると思ふ[#「
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