此矛盾の中に懷疑論者の意義が籠つて居ると思ふ」に傍点]。今日の懷疑論に若し意義があり[#「今日の懷疑論に若し意義があり」に白三角傍点]、存在の理由がありとすれば[#「存在の理由がありとすれば」に白三角傍点]、此内外の矛盾を惡むといふ點にある[#「此内外の矛盾を惡むといふ點にある」に白三角傍点]。尚ほ語を換へて言へば、哲學の概念も、宗教や道徳の理想や規範も、現實の生きた經驗を離れてあるべきでは無い、其れが動もすると現實の經驗を離れて形式一遍になるといふ弊がある。其處で懷疑論者は現實の經驗に歸れと叫んで居るのである。此點は自然主義の眞純の部分である。併し自然主義者は單にこれ丈けに止まらず、更に極端に進んで現實の經驗に關係あるなしに拘らず一切の概念の體系[#「更に極端に進んで現實の經驗に關係あるなしに拘らず一切の概念の體系」に傍点]、一切の理想[#「一切の理想」に傍点]、一切の價値を斥けて居るのである[#「一切の價値を斥けて居るのである」に傍点]。自然主義の誤は此點に存する[#「自然主義の誤は此點に存する」に傍点]。
ショーペンハウエルは其「意志及表象としての世界」に下の樣なことを言て居る
前へ
次へ
全29ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
朝永 三十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング