懷疑論者の中心思想は、凡ての哲學に對して概念の體系[#「概念の體系」に黒三角傍点]を排し、凡ての宗教及道徳に對して理想[#「理想」に黒三角傍点]や規範[#「規範」に黒三角傍点]や價値[#「價値」に黒三角傍点]を排するといふ點にあると見ることが出來ると思ふ。
今日の自然主義に對する多數の人の態度を見るに、無論少數有識者の除外例はあるが、大體二樣に別れて居る樣である。一は之に附和雷同する者である。一は之を冷評若くば嘲罵する者である。併し双方共に自然主義といふ者を背徳亂倫の辯護者と見肉情の挑發を以て目的として居る事と見る点に於て一致して居る。双方共に自然主義を斯ういふ風に解して、自分の放縱なる生活をジャスティファイする道具に使はんとするものが多く前者に屬し、常套的《コン※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ンショナル》の道徳をば此破壞的風潮よりして救出さうとする者は後者である。輕佻な、血性的な青年が多く前者に赴き、形式的な教育家や、道徳論者や宗教家は主として後者に赴いて居ると思ふ。併し、是等は自然主義といふものを極皮相的に解して居るのである。自然主義は自らジャスティファイして居る一種の人生
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