点](〔Epoche_〕)を取ると云ふことであると説いた。是に至て懷疑論は發展の極に達したと云はねばならぬ。でありますから、其後中世に入り、近世に入りて、懷疑論者と稱せられて居る學者や學派が隨分出て居りますけれども、これ程徹底したる懷疑説は出でゝ居らぬ。若し苟くも何等かの主義といふ樣なことを標榜して出でる以上は、例へば懷疑主義であらうとも、其れは純粹の中性的態度では無い、從つてピュローン流の論法で行けば首尾一貫したる懷疑論では無いのである。ピュローン流の論法で行けば、懷疑論者は何事もハツキリした事は言へぬ譯である。で、ヒュームなどは普通懷疑論者と呼ばれ、又た自らも懷疑論者と稱して居るけれども、歴史家の多くは之を懷疑論者と呼ぶのは適當で無いといふことを説いて居るし、又た自分でもピュローン風の懷疑説をば「過激なる懷疑論」と呼んで、自分の懷疑論をば之を混同されては困るといふことを説いて居る。最近世に於てはニィーッチエが懷疑論者と呼ばれて居る。成る程歴史といふことを排し、現代の文明を根本的に破壞せんとしたる點に於ては頗る激烈なる懷疑論者と見ることが出來る。けれども其破壞的態度は唯過去に對しての
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