れて、吾々に平和を與ふる代りに却て不安と煩累とを與ふる者であると説いて居る。此議論によりて見ますといふと、ピュローン等が當の敵としたのは主として眞僞善惡に關する哲學上倫理上の議論[#「議論」に白三角傍点]である。「ソフィスト」の樣に世間に行はれて居る倫常を馬鹿にするといふ樣な態度は尠いのである。此點に於てピュローンの懷疑論は「ソフィスト」の其れに比べて餘程穩健である。併し、ピュローン等は他の點に於て「ソフィスト」等が未だ到達する能はざりし所まで懷疑説の論理的皈結をば追究して行つた。其れは即ち、懷疑論は其自身を疑ふに至らざれば徹底したる懷疑論とは云へぬ、己れ自身に對して懷疑的態度を取るに至らざれば眞誠の懷疑論者では無いといふことである。普通の懷疑説は懷疑説は眞理であると固執して居る。確實なる善惡眞僞の標凖は無いといふことに着して居る。併し其れは懷疑説の自家撞着である。苟くも眞誠の懷疑論たる以上は懷疑説が眞理であるとも言へぬ譯である、確實なる善惡眞僞の標凖があるとも言へないが、又た無いとも言へない譯である。眞誠の懷疑論の本義は一切のことに關して絶對的の中性的態度[#「中性的態度」に黒三角傍
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