、眞面目でない樣相があらう。是等の不切實な、不眞面目な樣相は懷疑主義の中に於て永久死滅すべき者である。如何に一時[#「如何に一時」に傍点]、輕佻な[#「輕佻な」に傍点]、附和雷同的な青年や俗衆やを動かし得るとするも[#「附和雷同的な青年や俗衆やを動かし得るとするも」に傍点]、之れは所詮死滅すべき要素である[#「之れは所詮死滅すべき要素である」に傍点]。で、若し自然主義にして飽くまでも自然主義的良心に據りて[#「自然主義的良心に據りて」に白丸傍点]時勢と戰つて行くといふ覺悟であるならば、即ち俗流に媚びるといふ樣な不眞面目な要素を去つて動くならば、其れは今日尚ほ存在の理由を有するのである。それで、吾々は之に對して如何なる態度を取らねばならぬか。哲學者は哲學的良心[#「哲學的良心」に白丸傍点]に據て之と戰へ、宗教家や道徳論者は宗教的良心[#「宗教的良心」に白丸傍点]、道徳的良心[#「道徳的良心」に白丸傍点]に據て之と戰へ。若し哲學者なり、道徳論者なり、宗教家なりが、其哲學的なり、道徳的なり、宗教的なりの良心に據らずして、自分の生きた經驗を離れて、生命を失つた形式とか常習とかに據つて自然主義と戰ふならば、其間は自然主義や懷疑主義は尚ほ充分に存在の理由を有するのである。或は今日の樣な形の自然主義や懷疑主義やは無くなるかも知れないが、此懷疑思潮は種々に形を變へて現はれて來るであらうと思ふのであります。併し、若し哲學者なり、道徳論者なり、宗教家なりが、眞に自己の良心に據り、眞に自己の經驗に歸るならば、自然主義や懷疑論は旭日に向ふ魑魅魍魎の如く一時に消失してしまふ筈である。
 これはデンマルクの詩人アンデルセンの書いた昔譚[#「デンマルクの詩人アンデルセンの書いた昔譚」に傍点]であります。中學校の英語の教科書などにも載つて居つた話であるから、諸君の内には已に御承知の方が多いであらうと思ふ。併し私は大變無邪氣であつて而かも意味の深い話であると思つて居りますから、未だ讀まない方の爲めに一寸紹介致します。
 昔し去る國に一人の皇帝があつた。其れが非常の着物道樂である。或日其都に二人の狡猾な無頼者がやつて來た。そして自分等は機織の名人であると吹聽した。其織つた織物は品や柄が立派である計りでは無い、一つ不思議な性質を具へて居る。其れは、此織物を視る者が器量不相應な位置や職掌に居る者であれば見
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