、一方においては、いずれも国家と法律と役人とにとって最もにがてな問題である。問題本来の性質上、役人の指導を許さざるもの、役人はただこれを取り締まる以外なんらの能力もあるべきはずのない事柄だからです。しかも他方において、わが国人をして今後人類文化のためになにものかを貢献せしめるがためには、これらの方面における国人の考え方と活動とをして、自由に活躍せしめねばならないからです。今日わが国はあらゆる方面において行きづまっています。政治においても、経済においても、法律においてもそうです。道徳の方面においても、また同様だということができましょう。旧来のものはすべてその権威を失いました。また少なくとも失わんとしています。伝統主義者はこれをみて慨嘆しています。けれども私はかくしてこそ、わが国がいきいきと伸びてゆくのだ、これこそ実に新日本への木の芽立ちと考えています。役人はなにゆえにこの伸びてゆく若芽を刈らんとするのであろう?
 彼らはみずから称して「思想を善導する」という。しかし「善」とははたしてなにか。彼らははたして確信をもってこれに答えうるものであろうか? 否、私はそうは思わない。なぜならば、今や
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