まじめに考えている国民はみなひとしく「善とはなんぞや」の問いに答えかねて煩悶を重ねている。彼らもまたその例外であるはずはないからです。
「善」とはなんぞや。国民はみなその問いに答えかねて偉人のくるのを待っている。そのときにあたって、役人が「伝家のさび刀」をかつぎだして、われこそは「思想の善導者」である、と大声疾呼したところで、誰かまじめにこれを受け取る者があろう。この際役人もまた人間の間に下りきたってみな人とともに「善」とはなんぞやという普遍の公案を考えねばならない。かくしてこそ、彼らもまた国民とともに悲しみうる真の人間らしい役人となりうるのであって、それのみが今日の国家をして永く安泰ならしめる唯一の策だと私は考えるのです。
一四
なお終りに一言いっておかねばなりません。今の役人の中で無性に「伝家のさび刀」をありがたがり、これによって国民を「善導」せんとする者はむしろ上役の者に多い。しかも、この考え方は十分下役に徹底していないために、ややともすれば下役の考え方を強制する。その結果、みずから行いつつある行為について十分の確信をもたない下役の役人が、とにかく上官の命ずる
前へ
次へ
全44ページ中40ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
末弘 厳太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング