いい。日常生活に法律は禁物である。もしそうでなくて、われわれの行動が常に必ず法律を標準としてなされねばならぬものだと仮定すれば、われわれ普通の人間は、多くの場合、行動の標準の知りがたきに苦しまねばならぬ。またともすれば、法律に従って行動していさえすれば、他の点はどうあろうとも、「国民」として正しく行動しているものとみるべきだというような謬見をよびおこし、もしくは「その場の議論に勝ちさえすればいい」とか、「免れて恥なし」というような気風を醸成するおそれがあります。イギリスの諺に「よき法律家はあしき隣人なり」という言葉があるそうです。日本でも、なまはんか法律を学んだ都帰りの法律書生は農村の平和擾乱者です。法律を知っている者はとかく法律をふりまわしたくなる。「常識」と「良心」とに従って行動することを忘れて、法律を生活の標準にしようとします。その結果、彼はついに「あしき隣人」となるのです。それゆえに私は国民に向かって「法律を知れ」とすすめる前に、むしろその「良心」と「常識」とを正しきものたらしめよと説きたいのです。
ところが、私らのような法律を扱うのをもって職業とする者、その他大臣以下諸役人
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