も、また役人の心掛けとしても、「法律の世界」はわれわれの日常生活とは離れた別個の世界だ、と考えているほうがいいのだと思います。われわれは日常「人間の世界」に住んでいる。その世界では「良心」と「常識」とに従って行動していさえすればいいのであって、また普通の人にとってはそれだけで差支えないことになっていなければ困るのです。なるほど、人が集まって社会生活を営む以上、必ずやなんらかの形式において、国家を形成せねばならないが、国家がある以上はまた必ず法律がなければならない。なぜならば、各人の「良心」と「常識」とにのみ信頼して団体生活を営むことは事実とうてい不可能であるから。
 それで「法律」は多くの場合、幸いにも「良心」と「常識」とに適合するようにできているから、われわれが日常生活において「良心」と「常識」とに従って行動していることは同時に「法律」に従っていることになる。そうしてそれがまず通常の場合であるために、ややともすれば「人間はすべて――みずからは『法律』を知らぬために気がつかないけれども、実は――『法律』によって日常生活を行動しているものと解すべきだ」というような考えが生まれるのです。け
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