れども私をしていわしめるならば、その場合でも、人間はただ「良心」と「常識」とに従って行動しているのであって、「法律」によって行動しているのではない。ただ事件が裁判所その他国家のお役所に行ったときに初めて「国家の尺度」すなわち「法律」によって価値判断を受けるだけのことだ、と説明したいのです。例えば、われわれが他人から金を借りたとしても、民法になんと書いてあり刑法になんと書いてあるから、返すのではありません。われわれはただ常識上借りたものは返すべきだと考え、返さなければなんとなく気がとがめるだけのことです。これを一々法律がああ命じているからやっていると考えるのは、普通人の決してなさざるところであり、なすべからざるところである。
もしも、われわれが日常生活において一々法律のことを考えねばならぬとすれば、きわめてこっけいなことになる。第一たいがいのことをするのに必ず証拠をとっておかなければならない。例えば、ささいな買物にも一々請取りをとり、友人間のわずかな貸借にも証文を要求し、はなはだしきに至ると日常の書信も一々内容証明郵便配達証明附きで出さねばならぬようなことになります。しかし、もしも誰か
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