ではない。彼らによって代表される「国家」もわれわれ人間の世界に出てきていろいろなことをする。われわれはいやでも「国家」とつきあわねばならない。それならば、「国家」もまたごくつきあいやすい普通の人間のごときものでなければ、とうていよく普通の人民と調和して社会生活を営んでゆくことのできるわけはありません。そうして「国家」をしてかくのごときものたらしめるものはただ一つこれを代表する「役人」あるのみであることを考えると、役人もまた決して形式的な「公平無私」の化身になっていさえすればいいというような簡単なものではない。彼らは「国家」をして普通の人間のごとく、道徳的なかつ親しみやすいつきあいいいものたらしめねばならぬ、きわめて困難な地位にあるのです。
ところが役人はとかく、うち人民に向かって形式的な法規をふりまわすのみならず、そと他国に対してもへりくつを並べたがります。そうしてそのたびごとに国家の信用を内外に向かって失墜しつつあります。
六
私の考えでは、従来の法律家は――否、普通一般の人々も――法律の領分を不当にひろく考えすぎているように思います。私は、国民一般の心意として
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