が、特に初学者に法学の学習をむずかしい、もしくはつまらないものと感じさせる原因となり、もしくは法学そのものを非科学的に感じさせる原因になっているのではないかと私は考えている。
四 法のあるべき姿――その理想的体系
十 私は、法学本来のあるべき姿は、もっと科学的なものでなければならないと考えている。現在多くの大学で教えられているいろいろの教科目にしても、それら相互の間に理論的の脈絡をつけて体系立ててみれば、もっと科学の名にふさわしい法学が成り立ち、もっと学生の理性を満足せしめ得るような法学教育が行われ得るのではないかと考えている。
以下にこの点に関する私の考えを素描すると、先ず第一に、法学の中心をなすものは「実用法学」であって、それは解釈法学と立法学とに大別されるが、その両者に通ずる科学としての本質は法政策学である。立法学は一定の政治目的のために、最もその目的に適った法令を作る科学的方法を研究する学であり、解釈法学は個々の具体的事件に適正な法的取扱いを与える科学的方法を研究する学である。科学としての解釈法学は、単に法令を形式的に解釈することを目的とする技術ではなくして、個々の具体的事件に妥当すべき法を創造することを目的としている。表面上単に法規を形式的に解釈しているように見える場合でも、実は法の創造が行われているのであって、創造を必要としない場合は、初めから解釈を要せずして法が明らかな場合にほかならない。いやしくも解釈が行われる場合には、程度の差こそあれ必ず法の創造が行われるのである。無論、法を創造すると言っても、立法によって法規が作られるのとは違う。立法の場合には、適用の対象たるべき不特定の事実を想定して抽象的な法規を作るのに反し、この場合には、与えられたる具体的事件を法的に処理するために必要な、具体的な法を、その必要の限りにおいて作るにすぎない。しかし、その法といえども、もしも他に別の同種の事件があるとすれば、それにも適用されてよいという想定の下に作られるのであって、その意味においては、なお法たる性質を有するということができる。多くの学者は今でも、一般に解釈の法創造性を認めないのを通例としている。そしてその理由として、解釈に法創造性を認めることは三権分立の政治原則を紊《みだ》るものだと言うのであるが、かくのごときは、立法における法規の定立と解釈による法の創造性との差異を理解しないものと言わねばならない。
第二に、法政策学としての実用法学は、一面において「法哲学」によって政策定立の理念と指標とを与えられると同時に、他面においては、「法社会学」によって発見された法に関する社会法則によって政策実現の方法を教えられる。実用法学と法社会学との関係は、たとえて言えば、工科の学問と理科の学問との関係、臨床医学と基礎医学との関係に似ている。技術学としての工科の学問は、一定の文化目的を達するために、自然科学としての物理学や化学によって発見された自然法則を利用する。それと同じように、政策学としての実用法学は、社会科学としての法社会学が発見した法に関する社会法則を利用して、立法や裁判の合理化を図るのである。法哲学は立法、裁判等の法実践にむかって指標を与えるけれども、その指標に従って立法し裁判する実際の動きは、法の社会法則によって制約されるのである。
かくのごとき意味での法社会学は今のところまだ十分に発達していないから、現在では立法者や裁判官が各自の個人的経験や熟練により、または法史学や比較法学の与える個々の知識を手引として立法し、また裁判しているにすぎないけれども、やがて法社会学が段々に発達してゆくにつれて、それによって発見され定立された法の社会法則が、立法上にもまた裁判上にも利用されるようになり、かくして法政策学としての実用法学が段々に科学化するに至るのだと私は考えている。工科の学問にしても臨床医学にしても、自然科学が今のように発達するまでは、専ら工人や医者の個人的経験や熟練によってのみ行われていたのであって、それらの学問が現在のように科学の名にふさわしい学問にまで発達したのは、自然科学の発達によって自然法則を利用することができるようになったからである。法学の場合には、今なおそれと同じ程度に発達した法社会学がないために、実用法学が十分に科学化していないけれども、最近における法史学や比較法学の発達、その他人種学、社会学等の発達は、ようやく法の社会法則の発見を目指す科学としての法社会学の成立を可能ならしめつつある。私は、この科学が、やがて自然科学と同じ程度に実用法学に必要な社会法則を十分提供し得るところまで発達すれば、法学が真に科学の名にふさわしい学問にまで発展し、立法や裁判のごとき法実践が、もっと無駄と無理のない合理的なものになるに違いないと考えている。[#地から1字上げ](『法律時報』二十三巻四・五号、昭和二十六年四月・五月)
底本:「役人学三則」岩波現代文庫、岩波書店
2000(平成12)年2月16日第1刷発行
初出:「法律時報 二十三巻四・五号」
1951(昭和26)年4月、5月
入力:sogo
校正:noriko saito
2008年8月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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