く考えており、またそれらのなかにもいろいろと程度の差異があるという事実を挙げることができる。つまり、法令解釈の限度を広く考えている人々は、とかく眼の前に置かれている事実の具体的特殊性を無視もしくは軽視して、なるべくすべてを法規の適用範囲に入れてしまおうとする傾向がある。これに反して他の人々は、本来法規はすべて或る型として想定された事実を前提として作られているのだから、たまたま眼の前に置かれた事実がその型の範囲に入れば法規をそのままそれに適用してよいけれども、全くもしくは多少ともその型からはずれた事実にはそのまま法規を適用する訳にゆかない、この場合にはその与えられた事実を解釈者自らが改めて一つの型として考えながら、それに適用せらるべき法を自ら作らなければならないと考えるのである。
 次に、解釈上の意見に差異を生ずる第二の原因は、彼ら各自の法的正義観に差異があり得ることである。ここで法的正義観というのは、広く言えば世界観もしくは人生観と言ってもよいが、この場合には、特に法に即して洗練された法律家独得の世界観であって、世間普通にいう世界観とは趣を異にしたものである。一例を挙げると、かつて、電
前へ 次へ
全35ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
末弘 厳太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング