れをよく読んでくる。そうして討論をする。世の中の出来事がそのまま教室において生徒の眼の前に展開されるのです。そうして結局裁判所はこれこれの事実なるによりこれこれに判決を下したと、先生が最後に教えてくれる。先生は理屈よりも生徒をよい方に導くことに全力を尽くしているのです。しかるに日本の先生は壇の上からえらそうな顔をして抽象的な原則のみを教える。したがって真に人間の世の中を離れない生きた本当の法律を教えることができない。法律はどうしても人間味を離れた変なものにならざるをえないのです。アメリカの教え方をみるに、先生は学生にまっさきに判決例を読ませている。したがって、かくして教えられる法律は、われわれが小さな理知をもととして研究したり教えたりする法律にくらべると、はるかに複雑なものである。すなわち人間の情けも出れば涙も出てくる。あるいは怒りあるいは喜ぶ。そのすべての事柄が法律の上に出てきている。かくして法律が取り扱われるところをみると、なるほど法律というものは非常に複雑なものであると同時に、人間離れのしているものではないということに誰しも気がつくのであります。ここに至って初めて私は先に申しまし
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