の弁護士や裁判官を養成する学校に通う。そうしてその学校を卒業するためには一定の年限の間学校の食堂で飯を食わなければいけない。飯を食うことが日本でいえば法学士になる一つの要件である。その飯を食わなければ裁判官や弁護士にはなれない。その話を聞いたときに私は、イギリスには古来の伝習にもとづいて今日ではもはやなんら意味のないことがたくさん行われている、この飯を食うのも多分その例にすぎないのだろうと簡単に考えていました。ところが日本をたってアメリカに行ってみると、アメリカの大学における法律の教え方をみて第一に驚かされました。いったい日本では先生が高い壇へあがって非常にえらそうな顔をしてせきばらいをしながら、ひげをひねりつつもったいぶって講義をする。生徒はまるで蟹のようになって筆記をしている。これが日本の法律の教え方である。ところがアメリカでは最初一年生に法律を教えるのにでもそんなことはしない。裁判所の判決例を集めたかなり厚い本を各生徒にあてがう。そうして生徒は法律もなにも知らないのだが、とにかく先生の指図に従って下読みをして行く。ところが先生が「誰々! この事件は何が書いてあるか」と法律もなにも
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