「わねばなりません。われわれは科学によってどこまでもXを解剖すべきです。そうして残るxの値を理想の基礎に立って定むべきです。法学における「正確さ」は実にかくのごときものでなければならないのです。
一二
法学者としての私の主張は、これを具体的にいうと結局「判例法主義」(case law)にくるのです。多数の判決例の上に現われた個々の具体的事例を解剖して([#ここから横組み]a+b+c+d+x[#ここで横組み終わり])を求めた上、これと「答え」との相対的関係を求めて、将来の事件において現わるべき「具体的妥当性」が何物であるかを推論する材料としたいのです。したがって個々の判決例は固定した「法」の各個の適用ではなくして、「具体的妥当性」を求めて千変万化する「法」の何物たるかを推論すべき重要材料だと考えるのです。
この意味において、私は今後の法学教育もまた「判例法主義」(case method)になってゆかねばならぬと確信しています。従来のごとく、XをかりにABなどに置き換えて正確(?)な結論を求めたと信じている法学は学生をして「法」の真髄を知らしめるゆえんではない。それは
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