≠゚るようでは何にもなりません。われわれの求めるところは「自由」や「公平」の保障を保持しつつ、しかも「杓子定規」におちいらないもの、換言すれば「保障せられたる実質的公平」にあるのです。
 従来、裁判の中に「実質的公平」または「具体的妥当性」を現わさんとする者の執った手段にほぼ二種類あります。その一は名判官主義、その二は陪審制度です。名判官をして、自由自在に裁判をさせればとにかく個々の事件に対する具体的に妥当な裁判を得ることができましょう。けれども、かくのごときは現代政治の弊にこりて名君専制主義を謳歌するのと同じ思想です。いったい、私は、「文化」というものはある特殊の人にだけできる事柄を誰にも容易にできるようにすることであり、また学問はそれを容易にできるようにする手段であると考えている。名判官なくんば、名裁判はできないというだけのことならば、それは「法学」の否認でなければなりません。それは結局名工正宗さえあれば、本多光太郎博士はいらぬというのと大差なき議論です。われわれは、名判官にあらずといえども名裁判をなしうるような法、すなわち各具体的の場合について具体的妥当性、実質的公平を確保しうべ
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