ォ法を作らねばならぬ。しからずんばわれわれは「自由法」をかちえた瞬間に再び「自由」と「公平」とを恋うるに至るであろう。
次にまた、陪審制度は「法」をして同時に「人間」の要求に適合せしめる第二の方法です。名判官専制主義と正反対な手段によってこれと同一の目的を達せんとする方法です。裁判官はとかく「法」本来の目的たる「公平」の要求にとらわれやすい。その結果はややもすれば裁判が「人間性」を失いやすい。それを救うがために、多数の素人を法廷に列せしめて有罪無罪の基本を認定せしめんとするものすなわち陪審制度である。この方法は裁判をしてたえず世間とともに変動せしめ、「法」をしてふだんの伸縮力を有せしめる効がある。けれども、時にはあまりに伸縮性が鋭敏すぎるために各場合の具体的事情に支配されやすく、その結果ややもすれば「理」と「公平」とを欠きやすい。
この意味において、名判官専制主義と、陪審制度とは各反対の長短を有する。そうして「杓子定規」をきらいつつ、しかも「自由」と「公平」との保障を得んことを希望している現代人を満足せしめるがためには、両主義ともに共通の欠点を有する。
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わ
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