念を客観化せしめました。これこれの場合には当然過失あるものと客観的に決めてしまって、主観的な本来の意味の過失いかんを問わなくなりました。むろん口では「過失」といっています。しかし、そのいわゆる「過失」は実は「違法」ということと大差なくなりました。かくしてドイツの学者が正面から堂々と無過失責任の理論を講究し論争している間に、フランスの裁判所は無言のうちにその同じ目的を達してしまいました。そうしてその際使われた「武器」はすなわち「嘘」です。フランスの裁判所は「嘘」を武器として新法理を樹立したのです。
同じことはわが国現在の裁判官もしばしばこれを試みます。その最も顕著な一例は、去る大正九年九月一日の大審院判決に現われた事実です。事件の大要は次のとおりである。ある人が妻子を故郷に残して渡米したが、十分に金を送ってこないので、妻は他人から二、三十円の金を借りて生計の用にあてた。しかるに貸主が返金を請求したところ、妻は「民法第一四条によると妻は夫の許可を得ずに借財をするをえないのだから」といって借財契約を取り消して返金を拒絶した。この場合民法第一七条に列挙した事由のいずれかが存するならば、妻は夫
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