を請求したければ会社の「過失」を立証せねばならぬというのが、従来の原則です。しかしタンクは爆発してすでに跡形もない今日、被害者ははたしてそんな立証ができるでしょうか。それは全く不可能であるか、または少なくともきわめて困難です。そうしてそれは自動車によってひき殺された人、貯水池の崩壊によって殺されたり財産を失ったりした人々にとってすべて全く同じことです。そこで近世の社会は従来の「過失責任主義」に対して、「無過失賠償責任」の原則を要求するに至ったのです。
立法者としては適宜にその新要求をいるべき新法令を制定すべき時がきたのです。「過失」のみが唯一の責任原因ではない。そのほかにも賠償責任の合理的原因とするに足るべき事例がある。それを基礎としてまさに新しい法律を制定すべき時が来たのです。学者も動きました。立法者も多少動きました。ドイツを初め諸国において制定された自動車責任法はその実例の一つです。けれども諸国の立法者が遅疑して進まず、またドイツの学者が紙上に無過失責任論を戦わせている間に、事実上一大躍進を遂げたものはフランスの裁判所です。
フランスの裁判所は、本来主観的であるべき「過失」の観
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