ある下級官吏がたまたまある場所を警戒する任にあたっていた。その際一人の無法な男がおどり出て爆弾を懐中し爆発ついに自殺したと仮定する。なるほど、その男の場所がらをもわきまえない無法な所作は、非難すべきものだとしても、たまたま、その場所で警戒を命ぜられていた役人をして絶対的の責任を負わせる理由はないわけです。その役人が責任を負うや否やはその役人が具体的なその場合において、警備上実際に懈怠があったかどうかによって定まるので、偶然その場所にいあわせたというだけの事実をもって絶対的に定まるものではない。ところが現在わが国に行われつつある官吏責任問題の実際はこの点がきわめて形式的に取り扱われてはいないであろうか。停車場が雑踏した場合に、駅長がいかに気をつけても、中には突き飛ばされて線路に落ちる人もあろう。その際駅長が最善の注意を怠らなかったとすれば、彼にはなんらの責任もないわけです。責任はたまたまその突き飛ばした人ないしは雑踏の原因を作った人々にあるわけです。しかるに今の実際では、その際駅長なり駅員なりの中から、必ずいわゆる「責任者」を出さなければすまさないのではないでしょうか。
 責任は、自由の
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