基礎の上に初めて存在する。規則によって人の自由を奪うとき、もはやその人の責任を問うことはできないのです。しかるに、万事を規則ずくめに取り扱う役所なり大会社なりは、使用人の責任までをも規則によって形式的に定めようとします。その結果、責任は硬化し形式化して全く道徳的根拠を失います。
 ところが、役人も生きねばならぬ。妻子を養わねばならぬ。その役人が自由を与えられることなしに、責任のみ形式的にこれを負担せしめられるとき、彼らははたして黙してその責任に服するであろうか。否、この際、彼は必ずや形式的責任の発生原因たる「事実」をいつわり、「事実」を隠蔽して、責任問題の根源を断とうとするに決まっています。すなわち、彼は「嘘」をつくのです。
 右の例を引いた私は、決して最近わが国に起こったなんらか具体的の事件について具体的の判断をくだしたわけではありません。しかし、現在われわれがしばしば「官吏の嘘つき」という事実を耳にするのは本当です。もし、それが事実とすれば、その根源のいずれにありやを考えることは重大問題ではないでしょうか。私はその原因を「責任の硬化」にあるのだと考えます。
 親が全く子の要求をきか
前へ 次へ
全46ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
末弘 厳太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング