動が始った。開き窓は開かれ、がたがたした戸は閂を外され、人々は、新しい爽かな空気にまだ冷気を覚えて――震えながら外へ出て来た。それから、村の住民の間では、滅多に軽減されることのない一日の労働が始った。飲用泉のところへ行く者もある。野良《のら》へ行く者もある。ここでは、掘ったり鋤いたりしに行く男や女たちがいる。かしこでは、乏しい家畜の世話をして、どこの路傍にでもあるような牧場へと、骨ばった牝牛を牽いてゆく男や女たちがいる。教会堂の中や例の十字架のところには、跪いている人の姿が一つ二つある。その十字架に祈祷している場に列席しながら、牽かれている牝牛は、十字架の下の雑草の間に朝食を求めようとしていた。
 館は、その格式にふさわしく、遅く目覚めた。が、徐々に確実に目覚めた。まず最初に、陰気な猪猟槍と狩猟短剣とが昔のように赤く染められ、次には、朝の日光によく切れそうにぴかぴかと光った。それから、扉《ドア》や窓がさっと開かれる。厩の中の馬は戸口のところへ流れ込んで来る清々《すがすが》しい光を肩越しに見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]す。樹の葉は鉄格子の窓のところできらきらと光りさらさらと音を立てる。犬は鎖を強くひっぱって、解き放たれるのを待ちかねて後脚で立ち上る。
 こういうすべての些細な出来事は、毎日毎日きまりきって、朝が戻って来るごとに、あることであった。が、館の大鐘の鳴り響いたことや、階段を駈け上ったり駈け下りたりすることは、確かに、いつもあることではなかった。また、露台《テレス》をあわただしく動く人の姿も、ここでもかしこでもどこでも長靴を穿いてどかどか歩き※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]ることも、急いで馬の鞍に跨って駈け去ることも、確かに、いつもあることではなかった。
 このあわて急ぐことをどんな風《かぜ》が例の白髪雑《しらがまじ》りの道路工夫に伝えたのであろう? 彼は既に、村の向うの丘の頂で、その日の弁当(持ち運び映《ば》えのしない)を鴉でも喙《ついば》むだけの骨折甲斐のない包みにして積み重ねた石ころの上に置いて、仕事にかかっていたのに。空飛ぶ鳥が、そのあわて急ぎの穀粒を遠方へ運んでゆくうちに、鳥が偶然に種子を蒔くことがあるように彼の上に一粒を落したのであろうか? それはいずれにしても、その道路工夫は、その蒸暑い朝、膝まで埃《ほこり》に埋めながら、まるで命がけのように丘を駈け下りてゆき、飲用泉のところへ著くまでは一度も止りはしなかったのであった。
 村のすべての人々は飲用泉のところに集り、いつものふさぎ込んだ様子であたりに立って、低い声で囁き合っていたが、しかし冷かな好奇心と驚きより他《ほか》には何の感情も現さなかった。大急ぎで牽いて来られて、何でもその辺のものに繋がれた牛は、ぼんやりと見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]したり、寝そべって、中途で止《や》めになった彼等の逍遥の間に拾い喰っておいた、別にそれだけの骨折をした甲斐もない食物を口の中へ戻して反芻したりしていた。館の人々の何人かと、宿駅の人々の何人かと、租税を取立てる役人の全部とは、多少の武装をして、何もない小さな街路の今一方の側に役にも立たないようなのにかたまっていた。既に、例の道路工夫は五十人の特別に親しい友達の群《むれ》の真中へ入り込んでいて、あの青い帽子で自分の胸を敲いていた。こういうすべてのことは何を前兆したのであろう? また、ムシュー・ガベルが馬上の召使の背後にひらりと飛び乗ると、馬が(荷は二倍になったにもかかわらず)、そのガベルを、ドイツの民謡のレオノーラ★を新たに演じたように、疾駈《はやがけ》で運び去ったのは、何を前兆したのであろう?
 それは、彼方《かなた》の館で石造の顔が一つだけ多くなったことを前兆したのであった。
 ゴルゴンが夜の間にその建物を再び検分して、不足していた一つの石造の顔を附け加えたのである。ゴルゴンが約二百年の間待ちに待っていた石造の顔を。
 その顔というのは侯爵閣下の枕の上に仰向に寝ていた。それは、突然ぎょっとさせられ、憤怒させられ、石に化せられた、精巧な仮面のようであった。その顔にくっついている石の体の心臓には、一本の短刀が深く突き刺してあった。その※[#「木+覇」、第4水準2−15−85]《つか》に一片の紙が巻きつけてあって、その紙にはこう走り書きしてあった。――
「彼を速く彼の墓場へ運んでゆけ[#「彼を速く彼の墓場へ運んでゆけ」に傍点]。これは[#「これは」に傍点]ジャーク[#「ジャーク」に丸傍点]より[#「より」に傍点]。」
[#改丁]

   註

〔緒言〕
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ウィルキー・コリンズ氏の劇の…………  ウィルキー・コリンズは作者ディッケンズの友人の小説家ウ
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