の世の中では、どんな事でも善い事と云うものは、その起り始めにはきっと誰かが腹を抱えて笑うものだ、笑われぬような事柄は一つもないと云うことをちゃん[#「ちゃん」に傍点]と承知していたからである。そして、そんな人間はどうせ盲目[#「盲目」に傍点]だと知っていたので、彼等がその盲目を一層醜いものとするように、他人《ひと》を笑って眼に皺を寄せると云うことは、それも誠に結構なことだと知っていたからである。彼自身の心は晴れやかに笑っていた。そして、かれに取ってはそれでもう十分であったのである。
 彼と精霊との間にはそれからもう何の交渉もなかった。が、彼はその後ずっと禁酒主義の下に生活した。そして、若し生きている人間で聖降誕祭の祝い方を知っている者があるとすれば、あの人こそそれを好く知っているのだと云うようなことが、彼について終始云われていた。吾々についても、そう云うことが本当に云われたら可かろうに――吾々総てについても。そこで、ちび[#「ちび」に傍点]のティムも云ったように、神よ。吾々を祝福し給え――吾々総ての人間を!



底本:「クリスマス・カロル」岩波文庫、岩波書店
   1929(昭和4)年4月20日初版発行
   1936(昭和11)年1月10日10刷
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「惘れ→あきれ、彼処→あそこ、恰→あたか、窖→あなぐら、或→ある、吩咐け→いいつけ、雖も→いえども、如何→いか、如何→いかが、幾許→いくら、何時→いつ、毎→いつ、愈々→いよいよ、吋→インチ、泛ぶ→うかぶ、恭々しい→うやうやしい、笑靨→えくぼ、於て→おいて、晩い→おそい、彼処→かしこ、且→かつ、嘗て→かつて、廉→かど、屹度→きっと、擽られ→くすぐられ、此奴→こいつ、踰える→こえる、此処→ここ、悉く→ことごとく、此の→この、是迄→これまで、嘸→さぞ、薩張り→さっぱり、逍遥い→さまよい、併し→しかし、直き→じき、蔵う→しまう、志→シリング、殿→しんがり、掬う→すくう、即ち→すなわち、凡て→すべて、其奴→そいつ、其処→そこ、謗る→そしる、哮り→たけり、慥か→たしか、但し→ただし、忽ち→たちまち、恃んで→たのんで、些っとも→ちっとも、恰度→ちょうど、就て→ついて、就いて→ついて、
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