@と私は尋ねてみました。すると、彼は次のようなことを教えてくれました。
 それはごく稀《まれ》なことですが、この国には、額の左の眉毛の上に、赤い円いあざ[#「あざ」に傍点]のついた子供が生れるのです。このあざ[#「あざ」に傍点]があると、この子供はいつまでたっても死なゝい、というしるしなのです。
 このあざ[#「あざ」に傍点]は年とともに、大きくなり、色が変ってゆきます。十二歳になると、緑色になり、二十五歳になると、紺色に変り、それから四十五歳になると、真黒になりますが、それからはもう変りません。こんな子供が生れるのは、非常に稀で、全国を探しても、男女合せて千百人ぐらいしかいません。そしてそのうち、五十人ぐらいが、この首府に住んでいますが、そのなかには、三年前に生れた女の子も一人います。この死なゝい人間が生れるのは、全く偶然で、血統のためではないのです。だから、ストラルドブラグを親に持っていても、その子供は普通の子供なのです。
 私は紳士からこの話を聞いて、何ともいえないほどうれしかったので、思わず、こう口走りました。
「あゝ、そんな人たちは、どんなに幸いでしょう。みんな人間は、死ぬことが恐ろしいから、いつも苦しんでいるのに、その心配がない人なら、ほんとに幸いなことでしょう。」
 しかし、一つ不思議に思ったのは、ストラルドブラグが宮廷に一人も見あたらなかったことです。とにかく私は、ひとつストラルドブラグたちに会って話してみたいと思いました。そこで私は、紳士を通訳に頼んで、一度彼等と引き合せてもらいました。
 まず紳士は、私がストラルドブラグを、大へんうらやましがっていることを、彼等に話しました。するとストラルドブラグたちは、しばらく自分たちの言葉でガヤ/\話し合っていました。それから通訳の紳士は、私にこう言いました。
「もし、仮に、あなたがストラルドブラグに生れてきたら、どんなふうにして暮すつもりか、それを、あの人たちは聞かせてくれと言っています。」
 そこで、私は喜んで次のように答えました。
「もし私が幸いにストラルドブラグに生れたとすれば、私はまず第一に、大いに努力して金もうけをしようと思います。そして、節約と整理をよくしてゆけば、二百年ぐらいで、私は国内第一の金持になれます。
 第二に、私は子供のときから学問をはげみます。そうすれば、やがて国中第一の学者になれます。それから最後に、私は社会のいろんな出来事を何でもくわしく書いておきます。風習や、言語や、流行や、服装や、娯楽などが移り変るたびに、それらを、一つ/\書きとめておきます。こうしておけば、私はやがて活字引《いきじびき》として皆から重宝がられます。
 六十を過ぎたら、私は規則正しい安楽な生活をしたいと思います。そして、有望な青年を導くことを、私の楽しみにします。私の記憶や経験から、いろんなことを彼等に教えてやりたいと思います。
 しかし、絶えず交わる友人には、やはり私と同じような、死なゝい仲間を十二人ほど選びます。そして、もし彼等のうちに生活に困っているようなものがあれば、私の土地のまわりに便利な住居を作ってやります。それから食事のときには、彼等のうちから数人招きます。もっともそのときには、普通の人間も、二三人ずつ立派な人を招くことにします。なにしろあまり長く生きていると、普通の人間が、どん/\死んでゆくことなど、別に惜しくもなんともなくなるでしょう。孫が出来れば、私はその孫を招いたりするでしょう。こうなると、ちょうどあの庭のチューリップが、毎年人の目を楽しませて、前の年に枯れた花を悲しまさないのと同じことです。
 それから私は死なゝいのですから、まだ/\、いろんなものを見ることができます。昔、栄えた都が廃墟となったり、名もない村落が都となったり、大きな河が涸《か》れて小川となってしまったり、文明国民が野蛮人になったり、昨日の野蛮人が、今日の文明人になっていたり、そんなふうな移り変りを見ることができるのです。そして、まだ人間の知識では解けない、いろんな問題も解ける日が来るのを、それも見ることができるでしょう。」
 私がこんなふうに答えると、紳士は、私の言ったことを、ストラルドブラグたちに、通訳して聞かせました。すると、彼等はにわかにガヤ/\と話しはじめました。なかには、失礼にも何かおかしそうに笑い出したものもいました。しばらくして通訳の紳士は、私にこう言いました。
「どうも、あなたはストラルドブラグというものを、考え違いしておられるようだと、彼等はそう言っています。
 なにしろ、このストラルドブラグなるものは、この国にしかいないもので、バルニバービにも日本にも見ることはできません。前に私も使節として、バルニバービや日本へ行ったことがありますが、その国の人たちは、てんで、そんなものがあるとは考えられないと言っていました。私は、バルニバービや日本の人たちと、いろ/\話し合ってみて、長生ということが、すべての人間の願いであることを発見しました。片足を墓穴に突っ込んだような人間でさえ、もう一方の足ではできるだけ入るまいとあがきます。たとえ、どんなに年をとっていても、まだ一日でも長生するつもりらしいのです。
 ところが、このラグナグの国では、絶えず眼の前にストラルドブラグの例を見せつけられているためか、この国の人たちは、やたらに長生を望まないのです。
 あなたは人間の若さとか健康とか元気とかいうものが、いつまでもいつまでもつゞくと、とんでもない考え違いをしていられますが、ストラルドブラグのつらいところは、年をとって衰えながら、いろんな不便を耐えて、まだ生きつゞけているということなのです。」
 そう言って、彼はこの国のストラルドブラグの有様を次のようにくわしく話してくれました。
 彼等は三十歳頃までは普通の人間と同じことなのですが、それからあとは次第に元気が衰えてゆく一方で、そうして八十歳になります。この国では八十歳が普通、寿命の終りとされていますが、この八十歳になると、彼等は老人の愚痴と弱点をすっかり身につけてしまいます。おまけに決して死なゝいという見込みから、まだ/\たくさんの欠点がふえてきます。頑固、欲張り、気むずかし屋、自惚れ、おしゃべりになるばかりでなく、友人と親しむこともできなければ、自然の愛情というようなものにも感じなくなります。
 たゞ嫉妬と無理な欲望ばかりが強くなります。彼等は青年が愉快そうにしているのを見ては、嫉妬します。それは彼等が、もうあんなに愉快にはなれないからです。それから彼等は、老人が死んで葬式が出るのを見ると、やはり嫉妬します。ほかの人たちは安らかに休息の港に入るのに、自分たちは死ねないからです。
 彼等は自分たちが若かった頃に見たことのほかは、何一つおぼえていません。しかも、そのおぼえているということも、ひどくでたらめなのです。だから、ほんとのことをくわしく知ろうとするには、彼等に聞くより、世間の言い伝えに従う方が、まだましなのです。すっかり記憶がなくなってしまっているのは、まだいゝ方です。これはほかの連中とは違って、もう多くの欠点もなくなっているので、多少、人から憐んでもらえます。
 彼等は満八十歳になると、この国の法律ではもう死んだものと同じように扱われ、財産はすぐ子供が相続することになっています。そして国から、ごく僅かの手当が出され、困る者は国の費用で養われることになっています。
 九十歳になると、歯と髪の毛が抜けてしまいます。この年になると、もう何を食べても、味なんかわからないのですが、そのくせ、たゞ手あたり次第に、食べたくもないのに食べます。しかし彼等はやはり病気にはかゝるのです。かゝる病気の方は、ふえもしなければ減ることもありません。話一つしても、普通使うありふれた物の名まで忘れています。人の名前などおぼえてはいません。どんな親しい友達や親類の人と会っても顔がわからないのです。本を読んでも、ぼんやり一つページを眺めています。文章のはじめから終りまで読んで意味をたどる力がなくなっているのです。ですから、何もかも一向面白くはないのです。
 それに、この国の言葉は絶えず変っています。だから甲の時代のストラルドブラグと、乙の時代のストラルドブラグが出会ったのでは、少しも言葉が通じません。そのうえ、二百年もたてば、友人と会っても話一つできない有様ですから、彼等は自分の国に住みながら、まるで外国人のように不便な生活をしているのです。
 私が紳士から聞いた話は、大たい、こんなふうなものでした。
 その後、私はいろ/\の時代のストラルドブラグをたび/\、家につれて来て会ってみました。中で一番若いのは、まだ二百歳になったかならないくらいでした。彼等は、私が大旅行家で、世界中を見てきた人間だと聞いても、別に珍しがりもせず、何の質問もしません。たゞ、何か記念品をくれと手を差し出しました。
 ストラルドブラグは、みんなから厭がられています。もしストラルドブラグがこの国に生れて来ると、これは不吉なことゝして、その誕生がくわしく書き残されることになっています。だから、その記録を見れば、彼等の年齢はわかるわけですが、しかしこの記録も千年くらい前のものしか残っていません。
 実際、ストラルドブラグほど不快なものを私は見たことがないのです。ことに女の方が男よりもっとひどいのでした。形がみにくいばかりでなく、その年齢に比例して、なんともいえないもの凄さがあるのです。私は彼等が六人ばかり集っているのを見て、年は百か二百ぐらいしか違わないのに、誰が一番、年上か、すぐわかりました。
 私はストラルドブラグのことを知ったために、やたらに長生したいという烈しい欲望もすっかりさめてしまいました。以前、心に描いていたたのしい夢が、今は恥かしくなったのです。たとえどのような恐ろしい死でも、あのように、厭らしい生よりは、まだましだと思うようになりました。
 こんなことを私が王に話したところ、王は大へん面白がられました。そして、私をおからかいになって、
「ひとつストラルドブラグを二人ばかり、イギリスへつれて行って見せてやってはどうか。」
 とおっしゃいます。だが、実際はこの国の法律で、彼等を国外につれて行くことは厳しく禁止されているようでした。
 ストラルドブラグのこの話は、諸君にもいくらか興味があるだろうと思います。というのは、少し普通とは変った話ですし、私のこれまで読んだどの旅行記にも、まだ、これは出ていなかったと思います。
 このラグナグ国と日本国とは、絶えず行き来しているのですから、このストラルドブラグの話も、もしかすると、日本の人が本に書いているかもしれません。しかし、なにしろ私が日本に立ち寄ったのは、ほんの短い間でしたし、そのうえ、私は日本語をまるで話せなかったので、そのことを確めてみることもできなかったのです。
 ラグナグ国王は、私を宮廷で何かの職につけようとされました。けれども、私がどうしても本国へ帰りたがっているのを見て、快く出発をお許しになりました。そして、わざわざ、日本皇帝にあてゝ推薦状を書いてくださいました。そのうえ、四百四十枚の大きな金貨と、赤いダイヤモンドを私にくださいました。このダイヤモンドの方は、私はイギリスに帰ってから、売ってしまいました。
 一七〇九年五月六日、私は陛下や知人一同に、うや/\しく別れを告げました。王はわざ/\私に近衛兵をつけて、グラングエンスタルドという港まで送ってくださいました。そこで、六日ほど待っていると、ちょうど、日本行きの船に乗れました。それから日本までの航海が十五日かゝりました。

 私たちは、日本の東南にあるザモスキという小さな港町に上陸しました。
 私は上陸すると、まず税関吏に、ラグナグ王から、この国の皇帝にあてた手紙を出して見せました。すると、その役人は、ラグナグ王の判をちゃんとよく知っていました。その判は、私の掌ほどの大きさで、王がびっこの乞食の手を取って立たせているところが、図案になっているのです。
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