フ邸《やしき》の一室を、私に貸してくれて、非常に厚くもてなしてくれました。
翌朝、彼は、私を馬車に乗せて、市内見物につれて行ってくれました。街はロンドンの半分くらいですが、家の建て方が、ひどく奇妙で、そして、ほとんど荒れ放題になっているのです。街を通る人は、みな急ぎ足で、妙にもの凄《すご》い顔つきで、大がいボロ/\の服を着ています。
それから私たちは、城門を出て、三マイルばかり、郊外を歩いてみました。こゝでは、たくさんの農夫が、いろ/\の道具で地面を掘り返していましたが、どうも、何をしているのやら、さっぱり、わからないのです。土はよく肥えているのに、穀物など一向に生えそうな様子はありません。
こんなふうに、田舎も街も、どうも実に奇妙なので、私は驚いてしまいました。
「これは一たいどうしたわけなのでしょう。町にも畑にも、あんなにたくさんの人々が、とても忙しそうに動きまわっているのに、ちょっとも、よくないようですね。私はまだ、こんなでたらめに耕された畑や、こんなむちゃくちゃに荒れ放題の家や、みじめな人間の姿を見たことがないのです。」
と私は案内役の貴族に尋ねてみました。
すると彼は次のような話をしてくれました。
今からおよそ四十年ばかり前に、数人の男がラピュタへ上って行ったのです。彼等は五ヵ月ほどして帰って来ましたが、飛島でおぼえて来たのは、数学のはしくれでした。しかし、彼等は、あの空の国のやり方に、とてもひどく、かぶれてしまったのです。帰ると、さっそく、この地上のやり方を厭がりはじめ、芸術も学問も機械も、何もかも、みんな、新しくやりなおそうということにしました。
それで、彼等は国王に願って、このラガードに学士院を作りました。ところが、これがついに全国の流行となって、今では、どこの町に行っても学士院があるのです。
この学士院では、先生たちが、農業や建築の新しいやり方とか、商工業に使う新式の道具を、考え出そうとしています。先生たちはよくこう言います。
「もし、この道具を使えば、今まで十人でした仕事が、たった一人で出来上るし、宮殿はたった一週間で建つ。それに一度建てたら、もう修繕することが要らない。果物は、いつでも好きなときに熟れさせることができ、今までの百倍ぐらいたくさん取れるようになる。」
と、そのほかいろ/\結構なことばかり言うのです。
たゞ残念なのは、これらの計画が、まだどれも、ほんとに出来上ってはいないことです。だから、それが出来上るまでは、国中が荒れ放題になり、家は破れ、人民は不自由をつゞけます。がそれでも彼等は元気は失わず、希望にもえ、半分やけくそ[#「やけくそ」に傍点]になりながら、五十倍の勇気を振るって、この計画をなしとげようとするのです。
彼はこんなことを私に説明してくれたのです。そして、
「ぜひ、ひとつあなたにも、その学士院を御案内しましょう。」
と、つけ加えました。
それから数日して、私は彼の友人に案内されて、学士院を見物に行きました。
この学士院は、全体が一つの建物になっているのではなく、往来の両側に建物がずっと並んでいました。
私が訪ねて行くと、院長は大へん喜んでくれました。私は何日も/\、学士院へ出かけて行きました。どの部屋にも、発明家が一人二人いました。私はおよそ五百ぐらいの部屋を見て歩きました。
最初に会った男は、手も顔も煤だらけで、髪はぼう/\と伸び、それに、ところ/″\焼け焦げがありました。そして、服もシャツも、皮膚と同じ色なのです。
彼は、胡瓜《きゅうり》から日光を引き出す計画を、やっているのだそうです。なんでも、もう八年間このことばかり考えているのだそうです。それは、つまり、この胡瓜から引き出した日光を壜詰にしておいて、夏のじめ/\する日に、空気を温めるために使おうというのです。
「もうあと八年もすれば、これはきっと、うまくできるでしょう。」
と彼は私に言いました。
「しかし困るのは、胡瓜の値段が今非常に高いことです。どうか、ひとつこの発明を助けるために、いくらか寄附していたゞけないでしょうか。」
と彼は手を差し出しました。私はいくらかお金をやりました。
次の部屋に入ると、悪臭がむんと鼻をつきました。びっくりして私は跳び出したのですが、案内者が引きとめて、小声でこう言いました。
「どうか先方の気を損ねるようなことをしないでください。ひどく腹を立てますから。」
それで、私は鼻をつまむわけにもゆかず困ってしまいました。この室の発明家は、顔も鬚も黄色になり、手や着物は汚れた色がついています。彼の研究というのは、人間の排泄したものを、もう一度もとの食物になおすことでした。
それから、別の部屋に入ると、氷を焼いて火薬にすることを、工夫している男がいました。
それから、非常に器用な建築家もいました。彼が思いついた新しい考えによると、家を建てるには、一番はじめに、屋根を作り、そして、だん/\下の方を作ってゆくのがいゝというのです。その証拠には、蜂や蟻などこれと同じやり方でやっているではないか、と彼は言っていました。
ある部屋には、生れながらの盲人が、盲人の弟子を使っていました。彼等の仕事は、画家のために、絵具を混ぜることでした。この先生は、指と鼻で、絵具の色が見分けられるというのです。しかし、私が訪ねたときは、先生はほとんど間違ってばかりいました。
また別の部屋には、鋤や家畜の代りに、豚を使って、土地を耕すことを発見したという男がいました。
それはこうするのです。まず、一エーカーの土地に、六インチおきに、八インチの深さに、どんぐり、なつめ、やし、栗、そのほか、豚の好きそうなものをたくさん埋めておきます。それから、六百頭あまりの豚を、そこへ、追い込むのです。すると、三日もすれば、豚どもは食物を探して、隅から隅まで掘り返すし、それに、豚の糞が肥料になるので、あとはもう種を蒔《ま》けばいゝばかりです。もっとも、これは、お金と人手がかゝるばかりで、作物はほとんど、取れなかったということです。
さて、その次の部屋に行くと、壁から天井から、くも[#「くも」に傍点]の巣だらけで、やっと人ひとりが出入りできる狭い路がついていました。私が入って行くと、
「くも[#「くも」に傍点]の巣を破っては駄目だ。」
と、いきなり大声でどなられました。それから、相手は私に話してくれました。
「そも/\くも[#「くも」に傍点]というものは、蚕などよりずっと立派な昆虫なのだ。くも[#「くも」に傍点]は糸を紡ぐだけでなく、織り方までちゃんと心得ている。だから、蚕の代りにくも[#「くも」に傍点]を使えば、絹を染める手数が省けることになる。」
そう言って、彼は、非常に美しい蠅をたくさん取り出して見せてくれました。つまり、くも[#「くも」に傍点]にこの美しい蠅を食べさせると、くも[#「くも」に傍点]の糸にその色がつくのだそうです。それに彼は、いろんな色の蠅を飼っていましたが、この蠅の餌として、何か糸を強くさすものを研究しているのでした。
それから私は、もう一人、有名な人を見ました。この人は、もう三十年間というものは、人類の生活を改良させることばかり、考えつゞけているのです。
彼の部屋は奇妙な品物で一ぱいでしたが、五十人の男たちが、彼の指図で働いていました。ある者は、空気をかわかして塊りにすることを研究していました。また、ある者は、石をゴムのように柔かくして、枕をこしらえようとしていました。生きた馬の蹄《ひづめ》のところを石にすることを考えている者もいました。
それから、これは私にはどうもよくわからないのですが、この有名な学者は、畑に籾《もみ》がらを蒔《ま》くことゝ、羊に毛の生えない薬を塗ることを、目下しきりに研究しているのだそうです。
私は道を横切って、向う側の建物に入りました。こゝの学士院には、学問の発明家がいるのでした。
私が最初に会った教授は、広い教室にいました。そこには四十人ばかりの学生が集っていました。教授は一つの便利な機械を考えていました。
その機械を使えば、どんな無学な人でも、何でも書けるのです。哲学、詩、政治学、数学、神学、そんなものが誰にでも、らくに書ける機械でした。教授は、その機械についていろ/\私に説明してくれました。
私はつゞいて国語学校を訪ねました。
こゝでは、三人の教授が国語の改良をいろ/\と熱心に考えていました。
一つの案は、言葉を全部しゃべらないことにしたらいゝ、というのでした。その方が簡単だし、健康にもよい、ものをしゃべれば、それだけ肺を使うことになるから、生命を縮める、というのです。
それで、その代りに、こんなことが発明されました。言葉というものは、物の名前だから、話をしようとするときには、その物を持って行って、見せっこをすれば、しゃべらなくても意味は通じるというのです。
しかし、これにも一つ困ることがあります。それはちょっとした話なら、道具をポケットに入れて持って行けばいゝのですが、話がたくさんある場合だと大へんです。そのときは、力の強い召使が、大きな袋に、いろんな品物を入れて、背負って行かなければなりません。
私は、二人の男が、ちょうどあの行商人のような恰好で、大きな荷物を背負っているのを、たび/\見たことがあります。二人の男が往来で出会うと、荷物をおろして、袋をほどき、中からいろんな品物を取り出します。こうして、かれこれ一時間ぐらい話がつゞいたかと思うと、品物を袋におさめて、荷物を背負って立ち上ります。
私はその次に数学教室を見物しました。
こゝでは、ヨーロッパなどでは、思いつくこともできない、珍しい方法で、教えられていました。まず、数学の問題と答案を、薄い煎餅の上に、特別製のインキで、清書しておきます。学生たちに、お腹を空っぽにさせておいて、この煎餅を食べさせます。その後三日間は、パンと水しか与えません。そうすると、煎餅が消化されるにつれて、それと一しょに問題は頭の方へ上ってゆくというのです。
しかし、これは実際には一度も成功していません。というのは、この煎餅を食べると、ひどく胸が悪くなるので、みんなこっそり抜け出して、吐き出してしまうからです。
私はつゞいて、政治の発明家たちを訪ねましたが、この教室では、あまり愉快な気持にはされなかったのです。
この教室で、一人の医者がこんなことを言っていました。一たい、大臣などというものは、どうも物忘れがひどくて困るとは、誰もが言う苦情ですが、これを防ぐには、次のようにすればいゝというのです。つまり、大臣に面会したときには、できるだけ、わかりやすい言葉で用件を伝えておいて、別れぎわに、一つ、大臣の鼻をつまむとか、腹を蹴るとか、腕をつねるとか、なんとかして、約束したことは忘れないようにさせるのです。そしてその後も、面会するたびに同じことを繰り返し、約束したことは実行してもらうようにするのです。
また、この医者は、政党の争いをうまく停める方法を発明していました。
それは、まず両方の政党から百人ずつ議員を選んできて、これを二人ずつ、頭の大きさの似たもの同士の組にしておきます。それから、それ/″\両方の頭を鋸《のこぎり》でひいて、二つに分けます。こうして切り取った半分の頭を、それ/″\取り換えっこして、反対派の頭にくっつけるのです。
私は、二人の教授がしきりに議論しているのを聞きました。どうしたら、人民を苦しめないで、税金を集めることができるかという議論でした。
一人の教授の意見では、悪徳や愚行に税金をかけるがいゝ、というのでした。ところが、もう一人の教授の意見では、人がその自惚れている長所に税金をかけたらいゝ、というのです。
3 幽霊の島
私は学士院を見物すると、もうこれ以上、この国にいても仕方がないと思い、また、イギリスへ帰りたくなりました。私はヨーロッパへの帰り途に、ひとつラグナグ島へ寄ってみようと考えていました。それから、さらに日本へも寄
前へ
次へ
全25ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
スウィフト ジョナサン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング