こちらでお送りでも下さるのぢやないかと思つて、わざと日曜を選んだわけでもあつたのですが。何分お年のことですから、途中どんなことがないものでもない。」
「なに大丈夫でせう。」
 本家はのんきさうにさう云ふうち、ふと、追放令以來めつきり氣力を失つた顏に内心の狼狽を滲ませて、
「あつしも近頃は年でね、驛の昇降にも自信がないくらゐなんですよ。だからおばあさんをあつしがおんぶして行くといふわけにも行かない。代りに幸夫をやれるといいんだが、明日はあいにく舊師の謝恩會か何かあるとかで。」
「いいえ、いいんですよ。おばあさまには豫め事を分けて御本家にかうかう申し上げてくれと手紙を出しておいたのですが、九十三の頭ではそれをこちらへお傳へすることも御無理だつたのに違ひありません。私は親子のことですから、假令どんなことがあつても、何と云はれても、お氣持に添へさへすればそれでいいんですが、血の續いてゐないものには一應の形をつけないとと思つたものですから。その代りおばあさまが又こちらへ歸りたいと仰しやり出した時には、幸夫さんにでもお迎へに來ていただけますでせうね。」
「そりや、電報でも打つて下さればすぐ。休みの日ならいつでも、――おい、幸夫、幸夫。」
 本家は幾分何かを發散するやうに大きな聲を立てて、復員して以來妻子と二階住居をしてゐる長男を呼び下した。そして今までの話を丁寧に繰り返し、いつでもおばあさまのお迎へに行くことを約束させた。私は本家があまり素直で、弱氣で、我慢強いのを頼りないなと思つた。で出來るだけのことはするつもりだが、不屆のあつた場合の詫は先に申し上げておくと繰り返し云つた。
「しかしあんたも大變でせう。おばあさんは米しか食はんのだから。」
 伊東から運ぶのよりは樂だと出かかるのを私は危ふく押へた。そして毒の出ぬうちにといとまを告げた。
 おばあさんは床の中で私の歸りを待つてゐた。が、ざつと浴びて出てきた時にはかすかな鼾を立ててゐた。私は女中と小聲で明日の打合せをすませ、早くしまつて寢るやうに云ふと、座敷に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて、次兄の書架の前に佇んだ。おばあさんはおそらく伊東に落着くことになるだらう。おばあさんがゐないとなれば、此家に再び來ることはないだらう。すると私には、おばあさんをあんなにも大事にし、死水まで取つてもらつた次兄の遺物を此家に置き殘すのは、しのびがたいことのやうに思はれた。彼は死ぬ一週間前、おばあさんの使ひも兼ねて伊東まで來た。二泊してくつろぐ間に、おばあさんとの生活の將來に就いて、しんみり相談をかけたりもした。私はその時の兄の何か生氣に乏しかつた面持を思ひ浮べ、少年少女の昔から何でも話し合つた仲なのにと、その人のもう亡いことがひどく悲しくなつてきた。書架の前にはおばあさんの明日着るものがきちんと重ねてある。が其處らに漂ふ書物の匂ひは兄の體臭に近かつた。私は身内に何かの滲み入るのを意識しながら、一度すつかり目を通した筈の本の背を、お名殘の心で上から順に見て行つた。數段を占めてゐる露語の大册は、とても讀めたものではない。ただモスクワからやつとの思ひで取り寄せて、しばらくは抱いて歩いてゐたミチューリンだけは直ぐそれと判つた。せめてこれだけは伊東まで、――おばあさんと私の傍へ伴れて行つてやらう。私は豪華なその一册を自分自身の胸に抱き、疊の上に寢そべるやうにして、古ぼけた洋書のつまつてゐる最下段を窺《のぞ》いた。センツベリーとか、ゴルスウァージーとか、ソーローとか、私が學生時代に讀み、外遊の際兄にあづけたものが、ひどくくすんで飛びとびに挾まれてある。それらは私から離れて二十餘年、兄の生活につきまとつてきたわけである。私はその數册を拔き出して伊東へ持つて行くことにした。

       四

 五時半に仕度を終へ、臺所口から本家へ挨拶に行かうとすると、もう下駄をつつかけた本家が、送るから早く出かけろと、手と顎とでヴェランダの上から云つた。私は一度引込んで納戸から玄關へ拔け、おばあさんのしやちこばつた足に草履を穿かせた。女中はざつとお勝手を片付けて、あとから驛に走るとのことだつた。おばあさんのよちよちに調子を合せておばあさんの表札のかかつてゐる隱居所の門を出ると、早朝の並木路に本家夫妻はもうおばあさんを待つてゐた。二人はおばあさんを私の手から奪ひ、雙方から抱へるやうにして歩き出した。
 雲は低いが、立木とすれすれの東の空には一刷けのオレンヂ色が光つてゐる。風といふほどの風もない。どうやら私の望み通り、今日一杯はもつてくれさうな模樣である。次兄の靈もきつと途次を守つてくれるだらう。私は出がけに一枚掴んできた小型の座蒲團を手堤と一緒に小脇に抱へ、片手にはお辨當の包を提げて三人六脚のあとに從つた。外に出てみると、うそのやうに小さいおばあさんだつた。おばあさんの背中は直角に近いほどに曲つてゐる。曲つた背の上に眞白なオールバックがぴかぴかと光つてゐる。記憶に殘るおばあさんの母親も美しい顏立だつたが、おばあさんは九十三だといふのに、いまだに冴えた目と正しい鼻とを保持してゐる。此系統は私達の代になつて、それぞれに崩れてしまつたのだ。私は綺麗なおばあさんを伴れて行くことが誇らしくもあつた。
 驛の階段を登るおばあさんの足取は驚くべき速さだつた。左右から抱へ上げるやうにしてもらつてゐるのだが、おばあさん自身の一生懸命さで足は先走りして見えるくらゐだ。大柄な本家主人はまだしやつきりしてゐる。が本家の背中はおばあさんの輪郭をそのまま擴げたやうである。私はよく似てゐながら少しも相容れぬおばあさんと本家とが今日だけ、――永の別れになるかも知れない今だけ手を取り合つてゐるのを見て、いつたい何が原因でかうまで意地を張り合ふ仲になつたのだらうと、今更不思議でならなかつた。本家と死んだ良郎とは少年時代から犬猿も啻ならぬ間柄だつたので、次兄の生きてゐる間は孝養を盡してくれるものへの義理から本家とよそよそしくしてゐるのかと私は思つてゐた。が不幸の直後本家から一緒にならうといふ話の出た時、おばあさんは顏色を變へて、いやだと云つた。それ以來今日まで本家は隱居所の生活に指一本觸れない態度のままだつた。だが私から見れば、今は追放令下にしよんぼりとしてゐるが、一時は華かな官僚であり、有望な政治家ともみえた長男の傍から、謂はばその日暮しの末女の私の疎開先へ死にに來るおばあさんを、幸福だとは思へなかつた。おばあさん自身にしても、二三日とか一週間とか云つてみるのは、世間への本家の顏を立てる爲で、内心は未知の伊東へ死にに行くつもりなのに違ひなかつた。私はおばあさんの一生懸命な足取を見るにつけ、悲壯といつたやうなものも感ぜざるを得なかつた。
 駈け拔いて切符を求めると、私は一度三人について歩廊まで降りたが、女中の分の切符まで持つてきてしまつたのに氣付いて、もう一度改札口の方へ戻つて行つた。ちやうど其處へ、よそいきのモンペに早變りした女中が、息をはずませながら走り寄つてきた。時間はまだ充分あるのだからと劬りながらもう一度降りにかかると、オレンヂ色の薄光をまともに受けた三人が、帽子を手に持つた一人の紳士と挨拶を交してゐるのがだんだんに見えてきた。本家の世話になつたことのある人ででもあらう。
「温泉に入りたいといふのでね。ハハ。」
 本家はちよつとうつろな笑聲を立てた。紳士は本家が何か云ふ毎に、うやうやしい目禮をおばあさんの方に送つてゐる。かうした場面を見ると私は、おばあさんが知らぬ土地に行つて寂しい思ひをしなければいいがといつた氣持になつた。
 小田急の一番にはもう坐るところもなかつた。女中に手を曳かれて乘りこんだおばあさんは、まだ發車前なのに乘つた餘勢でよろよろと車臺の中央まで行つてしまつた。やつと其處で立ち止ると、目の前にかけてゐた人の好ささうな國防色が、すぐ立つておばあさんをかけさせてくれた。するうち、
「お氣をつけ遊ばして。」
 張り擧げた本家夫人の聲はまだ殘つてゐるやうなのに、電車は容赦なく夫妻を置き去りにしてしまつた。私は席をゆづつてくれた好人物に一應の禮を盡すと、
「おばあさん大丈夫ですか。」とおばあさんの上に跼みかかつた。
「何ともありませんよ。」
 おばあさんは幾年ぶりかの電車もうれしさうな面持である。
「上にお坐りになつたら?」
「この方が樂です。」
「風が入りすぎはしませんか。」
「ちやうどこれで、愉快です。」
 私は愉快ですに思はず聲を立てて笑つた。絹のワンピースで私は稍汗ばんでゐるのに、おばあさんはセルに紋附の一重羽織で涼しい顏をしてゐる。
「窓の外は見ないやうにね。お目がくらくらするといけませんから。」
 おばあさんはにこにこしたまま、素直に車内の乘客に目を向け變へた。だが、だいぶすいてきた車内の男女は、おばあさんに見られぬ前《さき》から、ともすると視線をおばあさんに集めがちだつた。九十三とは知るまいが、ともかく大變な高齡者が小綺麗に、きちんとかけて、うれしさうな顏をしてゐるからであらう。
「今日はおばあさんも御滿足でせう、あんなにしてお二人に見送られて。」
「いくらか氣が咎めてるんですよ。昨日は珍しく、お小遣はあるのかと訊きました。」
「で、なんて仰しやつたの?」
「まだ間に合ふからいいと云つてやりました。」
 おばあさんはそれで勝つたといふつもりらしかつた。私はちよつと苦《にが》い笑ひになつた。おばあさんの貯金帳には次兄の遺物《ゐぶつ》を賣り拂つたお金が、三百圓そこそこしか殘つてゐない筈だつた。思へば彼の急死以來よくも今日まで女中を使つて暮してきたものである。おばあさんの頭の中は日日の營みの爲一時として安らかではなかつたのに違ひない。その疲れとこの行き詰りとが伊東行の望みに拍車をかけることになつたのであらう。
 小田原と熱海の乘換では、女中がおんぶする豫定で、その爲何一つ持たせず出てきたのだつたが、おばあさんは終點に降り立つと、歩くと云つて杖を持つ手に震へるほどの力を入れた。登りの階段さへ殆んど一氣だつた。私は幾年もの間狹い隱居所の中をよちよちしてゐるおばあさんしか見たことがなかつたので、何處に祕めてゐたのか此異常なエネルギーには目を見張らざるを得なかつた。
 休日の汽車は案じたほどにも混んでゐなかつた。熱海では待つてゐる目の前に貨車の廣い戸口が停つた。
「これに乘つちやひませう。此處に坐つて行つた方が却つて樂かも知れませんよ。」
 私はさつさと先に上り、小脇の座蒲團を凸凹のない通路の中央に敷いた。
「さうとも。」
 不意に背後で景氣のよい男の聲がした。
「此處に乘るのは利口者だよ。特別席なんだから。」
 見ると赧ら顏が三人、各自に一升壜を立て鼎坐してゐるのだつた。
「おばあさんはいくつかね。」
「いくつに見えます?」
「八十、――さあ。」
「九十三なのですよ。」
「九十三? そいつあ國寶ものだ。へえ、九十三! 人間はうまいものを食つて長生するに限る。」
「とんだ食ひつぶしもので。」
 おばあさんは横からひよいと口を出した。
「そんなこたねえ。しかしおばあさんはうまいものを食つてるね。あつしや食物商賣だから、入つてくる人の顏を見りや、およそどんなものを食つてるか、ちやあんと判る。こいつを一つ食べて下せえ。砂糖入りの乾パンだ。」
 堅さうだつたが受取つて渡すと、おばあさんは端の方をちよつぴり折つて早速口に入れた。それをふくんでおばあさんはおちよぼ口を目立たぬほどに動かしてゐる。海から來る光線を受けてその唇は赤兒のそれのやうに美しかつた。かうまで年をとると食物も幼兒のと似たものになるから、肉體の組織も赤兒に還つて行くのかも知れない。さういへば私は、母といふよりは子を伴れて汽車に乘つてゐるやうな氣持でもある。おばあさんは幼兒の如く無心にそして安全に、隧道一つ越せば二驛めがたうとうもう伊東なのである。私は數日來の肩の凝りが少しづつ解けて行くのを意識した。

       五

 扉を引きながら
「ただいま。」と我ながら歡喜に
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