「何を仰しやるの。そんなのいやですよ。うちは御本家と違つて財産税の苦勞といつたやうなもののあるわけぢやありませんけど、それでゐて別に何不自由なく、のんきに暮して行けるんですもの、慾得づくでお世話してるとでも思はれちや、をさまりませんからね。」
「誰がそんなことを思ふものですか。でも私にはほかに御恩の返しやうがない。朝晩好きな温泉であつたまつて、おいしいものばかりいただいて、何の屈託もなく、――東京にゐた時はほんたうに毎日毎日――」
 おばあさんは初めての愚痴で、整つた顏を歪《ゆが》め、ワッといふ聲こそ立てなかつたが、制御を失つた泣き方になつてしまつた。
「そんなお泣きになつては、幸せでも何でもなくなつてしまふぢやありませんか。」
「いいえ、うれし泣きです。」
 おばあさんはいつも卓の下に置いてある手拭で涙を拭きふき、苦しさうに笑つて見せた。
そして又不意に冴えざえとした目に戻つて、いたづらさうに云つた。
「いいですよ。私はちやんと遺言に書いておくから。」



底本:「ささきふさ作品集」中央公論社
   1956(昭和31)年9月15日発行
初出:「苦樂」発行所名
   1947(昭
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