二年の七月|廿《にぢう》三号の表紙を替《か》へて(桂舟《けいしう》筆《ひつ》花鳥風月《くわてうふうげつ》の図《づ》)大刷新《だいさつしん》と云《い》ふ訳《わけ》に成《な》つた、頻《しきり》に西鶴《さいかく》を鼓吹《こすゐ》したのは此《こ》の時代で、柳浪《りうらう》、乙羽《おとは》、眉山《びさん》、水蔭《すゐいん》などが盛《さかん》に書き、寒月《かんげつ》露伴《ろはん》の二氏《にし》も寄稿《きかう》した、而《さう》して挿絵《さしゑ》は桂舟《けいしう》が担当《たんとう》するなど、前々《ぜん/\》の紙上から見ると頗《すこぶ》る異色《いしよく》を帯びて居《ゐ》ました、故《ゆえ》に之《これ》を第《だい》六|期《き》と為《す》る、我楽多文庫《がらくたぶんこ》の生命《せいめい》は第《だい》六|期《き》で又《また》姑《しばら》く絶滅《ぜつめつ》したのです、二十二年の十月発行の廿《にぢう》七号を終刊《しうかん》として、一方《いつぱう》には都《みやこ》の花《はな》が有り、一方《いつぱう》には大和錦《やまとにしき》が有つて、いづれも頗《すこぶ》る強敵《きやうてき》、吾《わ》が版元《はんもと》も苦戦《くせん》の後《のち》に斃《たふ》れたのです、然《しか》し、十一月に又《また》吉岡書籍店《よしをかしよじやくてん》の催《もよふし》で、柳浪子《りうらうし》を主筆《しゆひつ》にして小文学《せうぶんがく》と云《い》ふ小冊子《せうさつし》を発行した、是《これ》とても謂《い》はゞ硯友社機関《けんいうしやきくわん》でありました、抑《そもそ》も[#「抑《そもそ》も」は底本では「仰《そもそ》も」]九と云《い》ふ数《すう》は硯友社《けんいうしや》に取つては如何《いか》なる悪数《あくすう》であるか此《この》小文学《せうぶんがく》も亦《また》九号にして廃刊《はいかん》する始末《しまつ》、(二十三年四月)廿《にぢう》二年の十二月でした、篁村翁《くわうそんおう》が読売新聞社《よみうりしんぶんしや》を退《ひ》いたに就《つ》いて、私《わたし》に入社せぬかと云《い》ふ高田氏《たかだし》からの交渉《かうしやう》でしたから、直《すぐ》に応《おう》じて、年内《ねんない》に短篇《たんぺん》を書きました、翌《よく》廿《にぢう》三年の七月になると、未《ま》だ妄執《まうしう》が霽《は》れずして、又々《また/\》江戸紫《えどむらさき》と云《い》ふのを出した、是《これ》が九号の難関《なんくわん》を踰《こ》へたかと思へば、憐《あはれ》むべし、其《そ》の歳《とし》の暮《くれ》十二号にして、又《また》没落《ぼつらく》、之《これ》が為《ため》に無けなしの懐裏《ふところ》を百七十円ほど傷《いた》めて、吽《うん》と参つた、仮《かり》に小文学《せうぶんがく》をも硯友社《けんいうしや》の機関《きくわん》に数《かぞ》へると、其《それ》が第七期、是《これ》が第八期で、未《ま》だ第九期なる者が有る、
余《あま》り人は知らぬが、千紫万紅《せんしばんこう》と云《い》つて、会員組織《くわいゝんそしき》にして出した者で、硯友社《けんいうしや》の機関《きくわん》と云《い》ふのではなく、青年作家《せいねんさくか》の為《ため》であつたから、社名も別に盛春社《せいしゆんしや》として、私《わたし》の楽半分《たのしみはんぶん》に発行した、是《これ》は廿《にぢう》四年の六月が初刊《しよかん》であつたが、例の九号にも及《およ》ばずして又《また》罷《や》めて了《しま》つたのです、小栗風葉《をぐりふうえふ》は此《こ》の会員の中《うち》から出たので、宅《たく》に来たのは泉鏡花《いづみきやうくわ》が先《さき》ですが、私《わたし》が文章を扱《あつか》つたのは風葉《ふうえふ》(其頃《そのころ》拈華坊《ねんげぼう》)の方が早い、
廿《にぢう》四年中に雑誌編輯《ざつしへんしう》の手を洗つてから、茲《こゝ》に年《とし》を経《ふ》ること九年になります、処《ところ》が此《こ》の九の字が又《また》不思議《ふしぎ》で、実は来春《らいしゆん》にも成《な》つたら、又々《また/\》手勢《てぜい》を率《ひきゐ》て雑誌界《ざつしかい》に打つて出やうと云《い》ふ計画も有るのです、第九期まで有つて十期の無いのは甚《はなは》だ勘定《かんじやう》が悪いから、是非《ぜひ》第十期を造《つく》りたいと云《い》ふ考《かんがへ》も有るので、
段々《だん/\》追想《つひさう》して見ると、此《こ》の九年間の硯友社《けんいうしや》及《およ》び其《そ》の社中《しやちう》の変遷《へんせん》は夥《おびたゞ》しいもので、書く可《べ》き事も沢山《たくさん》有れば書かれぬ事も沢山《たくさん》ある、なか/\面白《おもしろ》い事も有れば、面白《おもしろ》くない事も有る、成効《せいかう》あり、失敗《しつぱい》あり、喜怒《きど》有り哀楽《あいらく》ありで、一部の好小説《こうせうせつ》が出来るのです、で又《また》今後の硯友社《けんいうしや》は如何《いかに》と云《い》ふのも面白《おもしろ》い問題で、九年の平波《へいは》に掉《さをさ》して居《ゐ》た私《わたし》の気運《きうん》も、来年以後は変動《へんどう》を生《しやう》ずるであらうと念《おも》はれるのです、
硯友社《けんいうしや》の沿革《えんかく》に就《つ》いては、他日《たじつ》頗《すこぶ》る詳《くは》しく説《と》く心得《こゝろえ》で茲《こゝ》には纔《わづか》に機関雑誌《きくわんざつし》の変遷《へんせん》を略叙《りやくじよ》したので、それも一向《いつかう》要領《えうりやう》を得《え》ませんが、お話を為《す》る用意が無かつたのですから、這麼《こんな》事《こと》で御免《ごめん》を蒙《かふむ》ります、
[#地付き](明治34[#「34」は縦中横]年1月1日「新小説」第6年第1巻)
底本:「明治の文学 第6巻 尾崎紅葉」筑摩書房
2001(平成13)年2月20日初版第1刷発行
底本の親本:「紅葉全集 第十巻」岩波書店
1994(平成6)年11月
※佃速記事務所員筆記
※文字遣い・仮名遣いの誤用・不統一は底本のままとしました。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2004年11月24日作成
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