やう》を又《また》反駁《はんばく》する者が有るなどで、なか/\面白《おもしろ》かつたのであります、此《こ》の第壱号[#「第壱号」に丸傍点]を出したのが明治十八年の五月二日[#「明治十八年の五月二日」に丸傍点]です、毎月《まいげつ》壱回《いつくわい》の発行《はつかう》で九号《くがう》まで続きました、すると、社員は続々《ぞく/″\》殖《ふ》ゑる、川上《かはかみ》は同級《どうきふ》に居《を》りましたので、此際《このさい》入社したのです、此《この》人は本郷《ほんごう》春木町《はるきちやう》に居《ゐ》て、石橋《いしばし》とは進文学舎《しんぶんがくしや》の同窓《どうそう》で、予備門《よびもん》にも同時《どうじ》に入学したのでありましたが、同好《どうこう》の士《ひと》であることは知らなかつたと見えて、是《これ》まで勧誘《くわんいう》もしなかつたのでありました、眉山人《びさんじん》と云《い》ふのは遥《はる》か後《のち》に改《あらた》めた名で、其頃《そのころ》は煙波散人《えんばさんじん》と云《い》つて居《ゐ》ました、
此《こ》の写本《しやほん》の挿絵《さしゑ》を担当《たんたう》した画家《ぐわか》は二人《
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