作る、当時《たうじ》既《すで》に素人芸《しろうとげい》でないと云《い》ふ評判《ひやうばん》の腕利《うできゝ》で、新躰詩《しんたいし》は殊《こと》に其力《そのちから》を極《きは》めて研究《けんきふ》する所で、百枚《ひやくまい》ほどの叙事詩《じよじし》をも其頃《そのころ》早く作つて、二三の劇詩《げきし》などさへ有りました、依様《やはり》我々《われ/\》と同級《どうきふ》でありましたが、後《のち》に商業学校《せうげふがくかう》に転《てん》じて、中途《ちうと》から全然《すつかり》筆《ふで》を投《たう》じて、今《いま》では高田商会《たかだせうくわい》に出て居《を》りますが、硯友社《けんいうしや》の為《ため》には惜《をし》い人を殺《ころ》して了《しま》つたのです、尤《もつと》も本人の御為《おため》には其方《そのはう》が結搆《けつかう》であつたのでせう、
それで、右の写本《しやほん》を一名《いちめい》に付《つき》三日間《みつかかん》留置《とめおき》の掟《おきて》で社員へ廻《まわ》したのです、すると、見た者は鉛筆《えんぴつ》や朱書《しゆがき》で欄外《らんぐわい》に評《ひやう》などを入れる、其評《そのひ
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