如何《いか》にと云《い》ふに、山田《やまだ》は勉強家《べんきやうか》であつたが、学科《がくくわ》の方《はう》はお役目《やくめ》に遣《や》つて居《ゐ》て、雑書《ざつしよ》のみを見て居《ゐ》た、石橋《いしばし》は躰育《たいいく》熱心《ねつしん》の遊ぶ方《はう》で、競争《きやうそう》は遣《や》る、器械躰操《きかいたいさう》は遣《や》る、ボートは善《よ》く漕《こ》ぐ、水練《すゐれん》は遣《や》る、自転車で乗廻《のりまは》す、馬《うま》も遣《や》る、学科には平生《へいぜい》苦心《くしん》せんのであつたが、善《よ》く出来ました、試験《しけん》の成績《せいせき》も相応《さうおう》に宜《よろ》しかつた、私《わたし》と来ると、山田《やまだ》とも付《つ》かず石橋《いしばし》とも付かずでお茶を濁《にご》して居《ゐ》たのです、其頃《そのころ》世間《せけん》に持囃《もてはや》された読物《よみもの》は、春《はる》のや君《くん》の書生気質《しよせいかたぎ》、南翠《なんすゐ》君《くん》の何《なん》で有つたか、社会小説《しやくわいせうせつ》でした、それから、篁村翁《くわうそんおう》が読売新聞《よみうりしんぶん》で軽妙《
前へ
次へ
全46ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 紅葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング