らい》閉戸主義《へいこしゆぎ》であつたから、其《そ》の躯《からだ》が恁《かう》云《い》ふ雑務《ざつむ》に鞅掌《わうしやう》するのを許《ゆる》さぬので、自《おのづ》から遠《とほざ》かるやうに成《な》つたのであります、
漣山人《さゞなみさんじん》は此頃《このごろ》入社したので、夙《かね》て一六翁《いちろくおう》の三男《さんなん》に其人《そのひと》有りとは聞いて居《ゐ》たが、顔を見た事も無かつたのであつた所、社員の内《うち》に山人《さんじん》と善《よ》く識《し》る者が有つて、此《この》人の紹介《せうかい》で社中《しやちう》に加はる事になつたのでした、其頃《そのころ》巌谷《いはや》は独逸協会学校《どいつけふくわいがくかう》に居《ゐ》まして、お坊《ばう》さんの成人《せいじん》したやうな少年で、始《はじめ》て編輯室《へんしうしつ》に来たのは学校の帰途《かへり》で、黒羅紗《くろらしや》の制服《せいふく》を着て居《ゐ》ました、此《この》人は何《なん》でも十三四の頃《ころ》から読売新聞《よみうりしんぶん》に寄書《きしよ》して居《ゐ》たので、其《そ》の文章《ぶんしやう》を見た目で此《この》人を看《み》ると、丸《まる》で虚《うそ》のやうな想《おもひ》がしました、後《のち》に巌谷《いはや》も此《こ》の初対面《しよたいめん》の時の事を言出《いひだ》して、私《わたし》の人物《じんぶつ》が全《まつた》く想像《さうざう》と反《はん》して居《ゐ》たのに驚《おどろ》いたと云《い》ひます、甚麼《どんな》に反《はん》して居《ゐ》たか聞きたいものですが、ちと遠方《ゑんぱう》で今|問合《とひあは》せる訳《わけ》にも行《ゆ》きません、
巌谷《いはや》の紹介《せうかい》で入社したのが江見水蔭《えみすゐいん》です、此《この》人は杉浦氏《すぎうらし》の称好塾《せうこうじゆく》に於《お》ける巌谷《いはや》の莫逆《ばくぎやく》で、其《そ》の素志《そし》と云《い》ふのが、万巻《ばんくわん》の書を読まずんば、須《すべから》く千里《せんり》の道を行《ゆ》くべしと、常《つね》に好《この》んで山川《さんせん》を跋渉《ばつせふ》し、内《うち》に在《あ》れば必《かなら》ず筆《ふで》を取つて書いて居《ゐ》る好者《すきもの》と、巌谷《いはや》から噂《うはさ》の有つた其《その》人で、始《はじめ》て社に訪《とは》れた時は紺羅紗《こんらしや》の
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