ふたり》で、一人《ひとり》は積翠《せきすゐ》(工学士《こうがくし》大沢三之介《おほさはさんのすけ》君《くん》)一人《ひとり》は緑芽《りよくが》(法学士《はうがくし》松岡鉦吉《まつをかしやうきち》君《くん》)積翠《せきすゐ》は鉛筆画《えんぴつぐわ》が得意《とくい》で、水彩風《すゐさいふう》のも画《か》き、器用《きよう》で日本画《にほんぐわ》も遣《や》つた、緑芽《りよくが》は容斎風《ようさいふう》を善《よ》く画《か》いたが、素人画《しろうとゑ》では無いのでありました、
さて我楽多文庫《がらくたぶんこ》の名が漸《やうや》く書生間《しよせいかん》に知れ渡《わた》つて来たので、四方《しはう》から入会を申込《まをしこ》む、社運隆盛[#「社運隆盛」に丸傍点]といふ語《ことば》を石橋《いしばし》が口癖《くちぐせ》のやうに言つて喜《よろこ》んで居《ゐ》たのは此頃《このころ》でした、一冊《いつさつ》の本を三四十人して見るのでは一人《ひとり》一日《いちにち》としても一月余《ひとつきよ》かゝるので、これでは奈何《どう》もならぬと云《い》ふので、機《き》も熟《じゆく》したのであるから、印行《いんかう》して頒布《はんぷ》する事に為《し》たいと云《い》ふ説《せつ》が我々《われ/\》三名《さんめい》の間《あひだ》に起《おこ》つた、因《そこ》で、今迄《いまゝで》は毎月《まいげつ》三銭《さんせん》かの会費《くわいひ》であつたのが、俄《にはか》に十|銭《せん》と引上《ひきあ》げて、四六|版《ばん》三十二|頁《ページ》許《ばかり》の雑誌《ざつし》を拵《こしら》へる計画《けいくわく》で、猶《なほ》広《ひろ》く社員を募集《ぼしう》したところ、稍《やゝ》百|名《めい》許《ばかり》を得《え》たのでした、此《この》時などは実に日夜《にちや》眠《ねむ》らぬほどの経営《けいえい》で、又《また》石橋《いしばし》の奔走《ほんそう》は目覚《めざま》しいものでした、出版の事は一切《いつさい》山田《やまだ》が担任《たんにん》で、神田《かんだ》今川小路《いまがはかうぢ》の金玉出版会社《きんぎよくしゆつぱんくわいしや》と云《い》ふのに掛合《かけあ》ひました、是《これ》は山田《やまだ》が前年《ぜんねん》既《すで》に一二の新躰詩集《しんたいししう》を公《おほやけ》にして、同会社《どうくわいしや》を識《し》つて居《ゐ》る縁《えん》から此《
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