貫一の眼《まなこ》はその全身の力を聚《あつ》めて、思悩める宮が顔を鋭く打目戍《うちまも》れり。五歩行き、七歩行き、十歩を行けども、彼の答はあらざりき。貫一は空を仰ぎて太息《ためいき》したり。
「宜《よろし》い、もう宜い。お前の心は能く解つた」
 今ははや言ふも益無ければ、重ねて口を開かざらんかと打按《うちあん》じつつも、彼は乱るる胸を寛《ゆる》うせんが為に、強《し》ひて目を放ちて海の方《かた》を眺めたりしが、なほ得堪へずやありけん、又言はんとして顧れば、宮は傍《かたはら》に在らずして、六七間|後《あと》なる波打際《なみうちぎは》に面《おもて》を掩《おほ》ひて泣けるなり。
 可悩《なやま》しげなる姿の月に照され、風に吹れて、あはれ消えもしぬべく立ち迷へるに、※[#「※」は「森」のように「水」が3つ、71−16]々《びようびよう》たる海の端《はし》の白く頽《くづ》れて波と打寄せたる、艶《えん》に哀《あはれ》を尽せる風情《ふぜい》に、貫一は憤《いかり》をも恨をも忘れて、少時《しばし》は画を看《み》る如き心地もしつ。更に、この美き人も今は我物ならずと思へば、なかなか夢かとも疑へり。
「夢だ夢だ
前へ 次へ
全708ページ中99ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 紅葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング