云ふのぢやないのです。何でも二十三四からに成らなくては、心底から惚れると云ふ事は無いさうで。それからが本当の味が出るのだとか申しますが、そんなものかも知れませんよ。この齢に成れば、曲りなりにも自分の了簡も据《すわ》り、世の中の事も解つてゐると云つたやうな勘定ですから、いくら洒落気《しやれつき》の奴でも、さうさう上調子《うはちようし》に遣つちやゐられるものぢやありません。其処《そこ》は何と無く深厚《しんみり》として来るのが人情ですわ。かうなれば、貴方、十人が九人までは滅多に気が移るの、心が変るのと云ふやうな事は有りは致しません。あの『赤い切掛《きれか》け島田の中《うち》は』と云ふ唄《うた》の文句の通、惚れた、好いたと云つても、若い内はどうしたつて心《しん》が一人前《いちにんまへ》に成つてゐないのですから、やつぱりそれだけで、為方の無いものです。と言つて、お婆さんに成つてから、やいのやいの言れた日には、殿方は御難ですね」
お静は一笑してコップを挙げぬ。貫一は連《しきり》に頷《うなづ》きて、
「誠に面白かつた。見惚《みぼれ》に気惚に底惚か。齢《とし》に在ると云ふのは、これは大きにさうだ。齢
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