、其気《そのき》には相成申候や、又何故御前様の御辞《おんことば》には従ひ不申《まをさず》候や、唯今《ただいま》と相成候て考へ申候へば、覚めて悔《くやし》き夢の中のやうにて、全く一時の迷とも可申《まをすべく》、我身ながら訳解らず存じまゐらせ候。二つ有るものの善きを捨て、悪《あし》きを取り候て、好んで箇様《かよう》の悲き身の上に相成候は、よくよく私に定り候運と、思出《おもひいだ》し候ては諦《あきら》め居り申候。
其節御前様の御腹立《おんはらだち》一層強く、私をば一打《ひとうち》に御手に懸け被下候《くだされさふら》はば、なまじひに今の苦艱《くげん》は有之間敷《これあるまじく》、又さも無く候はば、いつそ御前様の手籠《てごめ》にいづれの山奥へも御連れ被下候《くだされさふら》はば、今頃は如何なる幸《さいはひ》を得候事やらんなど、愚なる者はいつまでも愚に、始終愚なる事のみ考居《かんがへを》り申候。
嬉くも御赦《おんゆるし》を得、御心解けて、唯二人熱海に遊び、昔の浜辺に昔の月を眺《なが》め、昔の哀《かなし》き御物語を致し候はば、其の心の内は如何に御座候やらん思ふさへ胸轟《むねとどろ》き、書く手も震
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