いあげ》まゐらせ候。世間には随分賢からぬ者の好き地位を得て、時めかし居り候も少からぬを見るにつけ、何故《なにゆゑ》御前様《おんまへさま》には然《さ》やうの善からぬ業《わざ》を択《より》に択りて、折角の人に優《すぐ》れし御身を塵芥《ちりあくた》の中に御捨《おんす》て被遊候《あそばされさふらふ》や、残念に残念に存上《ぞんじあげ》まゐらせ候。
愚なる私の心得違《こころえちがひ》さへ無御座候《ござなくさふら》はば、始終《しじゆう》御側《おんそば》にも居り候事とて、さやうの思立《おもひたち》も御座候節《ござさふらふせつ》に、屹度《きつと》御諌《おんいさ》め申候事も叶《かな》ひ候ものを、返らぬ愚痴ながら私の浅はかより、みづからの一生を誤り候のみか、大事の御身までも世の廃《すた》り物に致させ候かと思ひまゐらせ候へば、何と申候私の罪の程かと、今更|御申訳《おんまをしわけ》の致しやうも無之《これなく》、唯そら可恐《おそろ》しさに消えも入度《いりた》く存《ぞんじ》まゐらせ候。御免《おんゆる》し被下度《くだされたく》、御免し被下度《くだされたく》、御免し被下度候。
私は何故《なにゆゑ》富山に縁付き申候や
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