もうこれぎりで、貴方も……私も……土に成つて了へば、又とお目には掛れ、ないんだから、せめては、今改めて、狭山さん、私はお礼を申します」
男は身をも搾《しぼ》らるるばかりに怺《こら》へかねたる涙を出《いだ》せり。
「もうそ、そ、そんな事……言つて……くれるな! 冥路《よみぢ》の障《さはり》だ。両箇《ふたり》が一処に死なれりや、それで不足は無いとして、外の事なんぞは念はずに、お静、お互に喜んで死なうよ」
「私は喜んでゐますとも、嬉いんですとも。嬉くなくてどうしませう。このお酒も、祝つて私は飲みます」
涙|諸共《もろとも》飲干して、
「あなた、一つお酌して下さいな」
注《つ》げば又|呷《あふ》りて、その余せるを男に差せば、受けて納めて、手を把《と》りて、顔見合せて、抱緊《だきし》めて、惜めばいよいよ尽せぬ名残《なごり》を、いかにせばやと思惑《おもひまど》へる互の心は、唯それなりに息も絶えよと祈る可かめり。
男は抱《いだ》ける女の耳のあたかも唇《くちびる》に触るる時、現《うつつ》ともなく声誘はれて、
「お静、覚悟は可いか」
「可いわ、狭山さん」
「可けりや……」
「不如《いつそ》もう早
前へ
次へ
全708ページ中642ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 紅葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング