あふ》りて、
「さあ、お静」
女は何気無く受けながら、思へば、別の盃《さかづき》かと、手に取るからに胸潰《むねつぶ》れて、
「狭山さん、私は今更お礼を言ふと云ふのも、異な者だけれど、貴方は長い月日の間、私のやうなこんな不束者《ふつつかもの》の我儘者《わがままもの》を、能くも愛相《あいそ》を尽かさずに、深切に、世話をして下すつた。
私は今まで口には出さなかつたけれど、心の内ぢや、狭山さん、嬉いなんぞと謂ふのは通り越して、実に難有《ありがた》いと思つてゐました。その御礼を為たいにも、知つてゐる通の阿母《おつか》さんが在るばかりに唯さう思ふばかりで、どうと云ふ事も出来ず、本当《ほんと》に可恥《はづかし》いほど行届かないだらけで、これぢや余《あんま》り済まないから、一日も早く所帯でも持つやうに成つて、さうしたら一度にこの恩返しを為ませうと、私は、そればかりを楽《たのしみ》に、出来ない辛抱も為てゐたんだけれど、もう、今と成つちや何もかも水《み》……水《み》……水《みづ》の……泡。
つい心易立《こころやすだて》から、浸々《しみじみ》お礼も言はずにゐたけれど、狭山さん、私の心は、さうだつたの。
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