あらざれど、又これが為に、直《ただ》ちに彼の濡衣《ぬれぎぬ》を剥去《はぎさ》るまでに釈然たる能はずして、好し、この上はその待人《まちびと》の如何《いか》なる者なるかを見て、疑は決すべしと、やがてその消息を齎《もたら》し来《きた》るべき彼の帰来《かへり》の程を、陰ながら最更《いとさら》に遅しと待てり。
夜は山精木魅《さんせいもくび》の出でて遊ぶを想はしむる、陰森凄幽《いんしんせいゆう》の気を凝《こら》すに反してこの霽朗《せいろう》なる昼間の山容水態は、明媚《めいび》争《いかで》か画《が》も如《し》かん、天色大気も殆《ほとん》ど塵境以外《じんきよういがい》の感無くんばあらず。黄金《こがね》を織作《おりな》せる羅《うすもの》にも似たる麗《うるはし》き日影を蒙《かうむ》りて、万斛《ばんこく》の珠を鳴す谷間の清韻を楽みつつ、欄頭《らんとう》の山を枕に恍惚《こうこつ》として消ゆらんやうに覚えたりし貫一は、急遽《あわただし》き跫音《あしおと》の廊下を動《うごか》し来《きた》るに駭《おどろか》されて、起回《おきかへ》りさまに頭《かしら》を捻向《ねぢむく》れば、何事とも知らず、年嵩《としかさ》の婢《を
前へ
次へ
全708ページ中612ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 紅葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング