んな》の駈着《かけつく》るなり。
「些《ちよい》と旦那、参りましたよ、参りましたよ! 早くいらしつて御覧なさいまし。些と早く」
「何が来たのだ」
「何でも可いんですから、早くいらつしやいましよ」
「何だ、何だよ」
「早く階子《はしご》の所へいらしつて御覧なさい」
「おお、あの客が還つたのか」
 彼ははや飛ぶが如くに引返して、貫一の言《ことば》は五間も後に残されたり。彼が注進の模様は、見るべき待人を伴ひ帰れるならんをと、直《す》ぐに起ちて表階子《おもてはしご》の辺《あたり》に行く時、既に晩《おそ》し両箇《ふたり》の人影は欄《てすり》の上に顕《あらは》れたり。
 鍔広《つばひろ》なる藍鼠《あゐねずみ》の中折帽《なかをれぼう》を前斜《まへのめり》に冠《かむ》れる男は、例の面《おもて》を見せざらんと為れど、かの客なり。引連れたる女は、二十歳《はたち》を二つ三つも越したる可《べ》し。銀杏返《いてふがへし》を引約《ひつつ》めて、本甲蒔絵《ほんこうまきゑ》の挿櫛《さしぐし》根深《ねぶか》に、大粒の淡色瑪瑙《うすいろめのう》に金脚《きんあし》の後簪《うしろざし》、堆朱彫《ついしゆぼり》の玉根掛《たまね
前へ 次へ
全708ページ中613ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 紅葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング