風情《ふぜい》面白く、渡れば喜十六の山麓《さんろく》にて、十町ばかり登りて須巻《すまき》の滝《たき》の湯有りと教へらるるままに、遂《つひ》に其処《そこ》まで往きて、午《ひる》近き頃宿に帰りぬ。
汗を流さんと風呂場に急ぐ廊下の交互《すれちがひ》に、貫一はあたかもかの客の湯上りに出会へり。こたびも彼は面《おもて》を見せじとやうに、慌忙《あわただし》く打背《うちそむ》きて過行くなり。
今は疑ふべくもあらず、彼は正《まさし》く人目を避けんと為るなり。則《すなは》ち人を懼るるなり。故は、自ら尤《とがむ》るなり。彼は果して何者ならん、と貫一は愈《いよい》よ深く怪みぬ。
昨日《きのふ》こそ誰乎彼《たそがれ》の黯※[#「※」は「黯−音+甚」、413−16]《くらがり》にて、分明《さやか》に面貌《かほかたち》を弁ぜざりしが、今の一目は、躬《みづから》も奇なりと思ふばかり奇《くし》くも、彼の不用意の間《うち》に速写機の如き力を以てして、その映じ来《きた》りし形を総《すべ》て脱《のが》さず捉《とら》へ得たりしなり。
貫一はその相貌《そうぼう》の瞥見《べつけん》に縁《よ》りて、直《ただ》ちに彼の性質を
前へ
次へ
全708ページ中604ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 紅葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング